実の弟である勝新太郎さんと共に一時代を築き、中でも殺陣(たて)に関しては当代随一の名手と評された名優「若山富三郎」さんが急性心不全(心筋梗塞)で倒れたのは、1992年4月2日のことでした。
食事と麻雀に招いた勝新太郎さん・中村玉緒さん夫妻、そして清川虹子さんらの目の前で倒れた若山富三郎さん…
救急車で病院に搬送されましたが、懸命の治療もむなしく同日夕方、62歳で帰らぬ人となったのです。
名前:若山富三郎(わかやまとみさぶろう)
本名:奥村 勝(おくむらまさる)
別名:城 健三朗(じょうけんざぶろう)
生年月日:1929年9月1日~1992年4月2日
職業:俳優、歌手、テレビドラマ監督
出身:東京府東京市深川区(現・東京都江東区)
学歴:旧制日大三中
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酒は一滴も飲めず、大の甘党で大福をご飯の代わりのように食べていたという若山さんは、一方でヘビースモーカーとしても有名でした。
1983年5月に糖尿病と心筋梗塞で倒れてからは「出演する映画はすべて最後の作品と思って演じる」と公言していたのです。
1985年4月にハワイで心臓の大手術を受けてからはニトログリセリンを持って仕事を続けるなど、病と闘いながらカメラの前に立ち続けてきました。
しかし、1990年12月には腎臓病で入院…
ドクターストップでドラマを降板します。
また当時、若山さんの体調悪化を受け、コカイン所持事件後ハワイに籠城していた弟の勝さんが帰国…
逮捕される騒ぎも起きました。
以降、週3回人工透析を受けるようになり、1991年10月に映画「王手」で9カ月ぶりに仕事を再開するものの、頰はこけ、髪は真っ白、顔色も悪くやつれた姿となったのです。
病を押して出演し、主演の赤井英和さんを相手に迫力の演技を見せつけたものの、結局「王手」が最後の作品となりました。
1992年2月には心臓にペースメーカーを埋め込む手術も行っています。
また同時期、1992年3月27日に勝さんに懲役2年6月、執行猶予4年の判決が下されました。
実刑も予想される中で勝ち取った猶予判決に、若山さんは「よかった、よかった」と涙を流し、勝さんと喜びを分かち合ったのです。
上機嫌の若山さんは「4月1日に人工透析があるから、次の日にうちでメシを食べよう」と誘い、4月2日に勝さん夫妻と清川虹子さんを招いて京都の自宅で食事会が開かれました。
復帰を誓う勝さんに身内同然の清川さん…
会話は大いに盛り上がった食事後、若山さんは闘病生活を公私ともに支えていたマネジャーの水谷亜希子さんに麻雀卓の用意を指示しました。
しかし、その麻雀の最中、元気いっぱいに見えていた若山さんの体が突然グラリと揺れ、隣の清川さんに崩れ落ちたのです。
すでに意識はなく真っ青の状態でした。
直前まで元気だったため、勝さん夫妻も清川さんも最初は冗談かと思ったほどだったと言います。
救急車の中では勝さんが人工呼吸を繰り返すなどしましたが、意識は戻らず心臓はほとんど停止状態…
搬送先の京大病院でも電気ショックや昇圧剤投与が行われましたが、治療の甲斐なく6時25分に若山さんが帰らぬ人となったのです。
勝さんは遺体にすがって「たった一人のアニキだったのに」と号泣しました。
4月7日に東京で行われた葬儀には萬屋錦之介さんや松方弘樹さん、三船敏郎さんら500人が参列…
勝さんは締めくくりに「人生が劇場なら、お兄ちゃんは素晴らしい千秋楽を迎えたと思います。千秋楽の仕来りのように、お疲れさま、おめでとうと言いたい」と語りました。
納骨式の際に勝さんがカメラの前で若山さんの遺骨を口にするなど、弟に看取られての名優の死だったのです。
勝さんは、それから5年後の1997年6月に喉頭がんで死去…
兄弟は今、港区三田の蓮乗寺の同じ墓で眠っています。
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