1965年に子役で映画デビュー
その後、映画「ブレイガール」で大ブレイクしたのが「桑原幸子」さんです。
そんな桑原さんは現在、ゴム製品を販売する会社の社長になっているという話があるのですが…
それにはどのような経緯があったのでしょうか?
名前:桑原幸子(くわはらゆきこ)
生年月日:1947年12月2日(71歳)
職業:元女優、会社経営
出身:東京都大田区
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「プレイガール」は1969年から1974年に、テレビ東京系で放送されたお色気アクションドラマでした。
番組ではミニスカートでのアクションなど、お色気シーンが人気だったのです。
この番組に初代メンバー・ユッコ役で出演していたのが桑原幸子さんでした。
桑原さんはドラマの中で、抜群のスタイルを惜しげもなく披露していたのです。
しかし、人気絶頂だった1973年…↓
桑原さんは25歳の時に直木賞作家の西木正明さんと結婚します。
馴れ初めは1968年頃、当時、西木さんが編集長を務めていた「平凡パンチ」の取材で知り合ったことがきっかけでした。
西木さんは当時既婚者だったのですが、桑原さんを口説き、桑原さんも恋愛感情はなかったものの「既婚者のほうが好きだった」と後にコメントしています。
また、当時はレギュラー番組を8本持っていて忙しかったという桑原さんは、「すぐバイバイできるから気楽だ」という理由で交際をスタートしたのでした。
しかし、その後は徐々に桑原さんも西木さんの魅力に惹きつけられます。
早早稲田大学の探検部出身だった西木さんは、どんどんと普通では行かないような所に桑原さんを連れて行きました。
西木さんに対して、「私の知らない世界を教えてくれる存在で魅力的だった」と語る桑原さん…
結局、二人は相思相愛の関係となり、結婚しました。
その後は芸能界から姿を消していた桑原さんでしたが、父親が他界したのをきっかけに実家の事業に携わることになります。
ところが父親が亡くなった後は、母親が経営を任せていた人が放漫経営で、気付けば倒産寸前だったことが発覚するのです。
仕方がなく、桑原さんは父親が経営していたゴム製品を販売する会社・京浜ラバーを継ぎました。
そこから桑原さんはバブル期には15人ほどいた従業貝を自分を含めた4人までリストラしたり、人脈を広げていき、年商1億2000万円までの会社にまで仕立て上げたのです。
現在も、横浜市港北区綱島東で株式会社京浜ラバーの社長として、桑原さんの名前が載っています。
設立は1964年3月、資本金は1000万円の会社です。
主にホースやシート、パッキンやベルトなどの柔らかい工業製品を製造・販売する会社です。
また、梱包材やテープ、手袋や靴、作業服などもあり、工業用・家庭用と種類豊富に取り扱っています。
最もホームページに掲載されている社長名は「鈴木幸子」となっているのです。
これは夫の西木正明さんの本名が鈴木正昭だからで、こちらが桑原さんの本名になります。
ちなみに、西木さんは秋田県仙北郡西木村(現・仙北市)生まれで、この西木村から名乗っているようです。
さて、プレイガールNOお大ブレイクから一転、ゴム製品を販売する会社の社長として活躍する桑原幸子さん…
彼女を見ていると、本当に実力のある人は、どんな世界にいっても成功するではないかと感じてしまいます。
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