テレビドラマ「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」などの出演していた女優でコメディアンの「泉ピン子」さん。
そんなピン子さんがコメディー番組の撮影中に骨折したのは、1986年9月6日のことでした。
名前:泉ピン子(いずみピンこ)
本名:武本小夜
生年月日:1947年9月11日(71歳)
職業:女優、コメディアン、漫談家、歌手
所属:pi企画株式会社
出身:東京都中央区銀座
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平均視聴率は52.6パーセント、最高視聴率62.9パーセントという驚異の記録を叩き出したNHK連続テレビ小説「おしん」に出演していた泉ピン子さん。
その後、1986年には大河ドラマ「いのち」に出演し、本格派女優で大奮闘していました。
そんなピン子さんが、コメディアンとして久々に取り組んだのが、大型コメディ「湯けむり行進曲・ぼたんとリボン」(1986年10月3日放送)だったのです。
1986年9月6日は、朝からこの番組の最終録画が都内のスタジオで進行していました。
そうしてピン子さんにアクンデントが起きたのは午前11時頃です。
温泉芸者・ぼたんを演じるピン子さんが、5億円の借金を抱えて焼身自殺を図ろうとする同級生(左とん平さん)を助けようと、必死に止めるシーン。
止めたのは良かったのですが、勢いあまってドズンと尻餅(しりもち)をつき、右手で体重を支えた瞬間、ポキっと右肩にすごい音がしました。
ピン子さんのカツラがぶっ飛ぶというギャグシーンだったのですが、ピン子さんの右肩に激痛が走ったのです。
痛みに耐えながら脂汗が流れ、それでも我慢して何とかNGにはならなかったのですが、激痛で取録を一時中断…
車で近くの虎の門病院へ行くと、レントゲンで「右肩烏口(うこう)突起骨折」とわかったのです。
3週間は絶対安静で、全治6週間…
もちろん即入院のケガでしたが、ピン子さんはそんなことを言ってられませんでした。
番組の収録の残りがまだ3シーン残っており、さらにその日はプロゴルファーの倉本昌弘さんと共演する「サロンパスハイ」のCM撮りが入っていたからです。
「死んでも頑張る!」と痛み止めの注射を打ってもらい、包帯巻いた右腕を着物の下で吊(つ)る応急処置だけで、1時過ぎにスタジオへと戻ったピン子さん。
そうして気合いと責任感でドラマ撮影をやり切ったのです。
その合間、ピン子さんは取材陣の顔をうらめしそうに見ながら、
痛みがすごいのよ。11日は39才の誕生日なのに病院か、つまんねえなぁ。どうせ花一つ届かないだろうし、一人ぼっちで寂しいねぇ。大好きな阪神も今年はケガばっかしてるけど、これじゃ掛布と同じだよ、イテテテ。
と悲痛な思いを語ったのです。
番組では急きょ台本を一部変更し、カメラが左からピン子さんを映すことになりました。
しかし、肩の折れた右腕が着物の下へ入ってるため、胸の辺りがブカブカで、共演した和田アキ子さんに「あんた大丈夫?オッパイがたれ下がってんじゃないの」と冗談を言われ、ピン子さんも「それはナイだろ!」と半泣きで言い返していたのです。
当時、大河ドラマ「いのち」で演じる村中ハルも入院中で、もうすぐ死ぬことになっていたのですが、「このまま病院で撮ってもらおうか」などと語っていたピン子さん。
その晩にようやく入院となりました。
その後、所属事務所の佐藤事務所(当時)からの打診を受け、「いのち」の収録は1週間先に先延ばしにしてもらい、何とかピン子さんは撮影を乗り越えたのです。
女優・泉ピン子の知られざる骨折事件に関するお話でした。
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