1980年代

尾崎豊…死因となった覚醒剤に手を出した理由とは!?




 

「I LOVE YOU」や「15の夜」、「卒業」など数々の名曲をこの世に生み出したシンガーソングライターの「尾崎豊」さん。
中でも代表曲の「I LOVE YOU」は世界中の歌手にカバーされ、カバー曲を含めた総売上は全世界で1,000万枚を超えていると言います。

そんな尾崎さんですが26歳の時、覚せい剤中毒 (メタンフェタミン中毒) による肺水腫が原因で若くして亡くなっています。

そこで今回は、そんな尾崎さんが覚せい剤取締り法違反で逮捕された時のことを振り返ってみたいと思います。

尾崎豊

名前:尾崎豊(おざきゆたか)
生年月日:1965年11月29日~1992年4月25日(享年26歳)
職業:シンガーソングライター
所属:ISOTOPE(アイソトープ)
レーベル:ソニー・ミュージックレコーズ
出身:東京都練馬区
学歴:青山学院高等部(中退)




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1987年12月22日の午前3時、尾崎豊さん(当時22歳)の家を警視庁戸塚の捜査員が突然訪れ、家宅捜索が始まりました。
戸塚署では、以前より尾崎さんの知人からの通報で、身辺を内偵していたのです。

その結果、1階トイレの貯水槽の中から、0.2グラムの覚せい剤が見つかり、ただちに尾崎さんは連行、覚せい剤取締り法違反で逮捕されました。

しかも、この時の尾崎さんは焦点の定まらぬ様子で、捜査員が急きょその場で尾崎さんの尿検査をしたところ、やはり覚せい剤の使用が認められたのです。
まさに、どういう言い逃れもできない状況でした。

その後の取り調べで尾崎さんは、

(1987年の)夏以来、数回(覚せい剤を)使っており、疲れた時に、コーヒーなどに入れて飲むとスッキリした。

と、供述したのです。

また、入手先については、

新宿区内の喫茶店で0.2グラムを2万円で購入した。

と語っており、プロの売人から買ったもので、バンド仲間や芸能界関係者とは関連がないことを強調しました。
警察もその見解をほぼ認め、他の芸能界関係者への影響がなかったのです。

尾崎さんは拘留中も特に禁断症状はなく、食事も普通にとっており、たまにボーっとすることがある他は、全く平静と変わりなかったと言います。

しかし、あまりに突然の出来事にファンだけでなく、所属事務所であったマザー・エンタープライズでさえも、この事実は全く知らなかったようでした。
事件が発覚した1983年1月8日、報道陣からの取材の電話で初めて知ったのです。

尾崎さんは1983年12月にLP「17歳の地図」でデビューし、たちまち若者達から熱狂的な支持を受けました。

この逮捕までに4枚のLPを出していましたが、いずれも30~40万枚の大ヒットとなっていたのです。
さらに、その歌詞の内容が体罰やイジメなどが続出する学校生活への反発や、大人への不信感、自由な生き方を追求するといったテーマであり、「10代の教祖」や「若者のカリスマ」などと称され、当時の若者達から強い共感を得ていました。

こうしたテーマは尾崎さん自身の実体験から来ています。
尾崎さん曰く、小学校6年の時から登校拒否をしており、さらに青山学院高等部1年の時に喫煙と飲酒が見つかり無期停学。

そのまま復学せずに退学して歌手デビューしたのですが、そんな尾崎さんならではの歌詞や曲が当時の若者の心には響きました

性格的には思い詰めたり、破滅型のようなところがあったとも言われる尾崎さん。
1984年に東京・日比谷野音で行なわれたコンサートでは、高さ6メートルの照明台の上から飛び下りて、全治5ヵ月の重傷を負ったこともありました。

しかし、そんなパフォーマンスもまた若者の心を刺激し、1985年の秋に行なわれた東京・代々木体育館でのコンサートでは、2日間連続で2万人を動員したのです。

ところが、1980年代の後半になると、音楽上の行き詰まりを感じ始めていました。
社会への反抗心でやって来たの自分が、メジャーになることによって、いつの間にか教祖扱いされるようになって来たことが、尾崎さんの行き詰まりの原因だったのではないかと言われています。

尾崎さん自身も「このままでは駄目になる」と、1986年からは充電期間を取って、二ューヨークへ勉強に行き、戻ってからも音楽活動はしばらく中止していたのです。

しかしこの間のうっぷん晴らしで、1日に3本もボトルを空けるような生活をしたりするようになり、1987年秋のシングル「核」を出してツアーも再開しましたが、その時には体中が酒浸りになっていました。

同じ年の9月28日のコンサートでは、立って歩けないほどの腹痛に見舞われ、ステージは中止…
診断によると肝臓とすい臓が目茶苦茶な状態だったのです。

これ以後は再び休養に入っていましたが、友人達には「曲が作れない」とも漏らしていたとも言います。
こうしたことが、酒からさらに薬へとエスカレートしていったのではないかと考えられました。

逮捕を受け、尾崎さんをロックの世界へと引き込んだマザー・エンタプライズの福田社長(当時)は、

逮捕される何日か前、電話で話した時には、「来年、年が明けてからまた仕事を始めたい」、「LPも作りたい」と言っていた。そんな矢先だけに非常に残念です。「薬だけはやるな」と言ってたんだが…。こういうことになった以上、本人の性格からして、もう歌うことはないと思います。私も、歌手と事務所の関係ではなく、人間同士として面倒は見ていくつもりですがレコードは出しません。また、どういう処分になるかわかりませんが、裁きには従わせます。 保釈するつもりはありません。

と、悲壮な表情で胸のうちを語りました。

事件発覚以降、埼玉県朝霞市にあった尾崎さんの自宅は門を閉ざしたままで、玄関には事務所の電話番号を書いた貼り紙をしている以外、誰も応答する気配はありませんでした。

東京都世田谷区で生まれ、練馬区で育った尾崎さん。
小学5年生の時に埼玉県朝霞市へ転居し、この地で多感な10代を過ごしていたのです。

近所に住む主婦も、

とってもいい子で礼儀も正しく、近所の子に頼まれて一緒に写真を撮ったりしていました。そんなことをするなんて…考えられない。

と、複雑な心境を語っていました。

しかし、逮捕から半年後にリリースした「太陽の破片」がヒットしたことで尾崎さんは復帰。
プライベートでは一般人女性と結婚し、長男・尾崎裕哉さんが生まれたことで気持ちも前向きになり、アルバムのリリースや個人事務所「ISOTOPE」(アイソトープ)を設立しました。

けれども、個人事務所の設立で多忙になったことや母親が急死したことなどが重なり、尾崎さんは自殺を図るなど精神面は追い詰められていきます。

そうして1992年4月25日の早朝、足立区千住河原町の民家の軒先で全裸で倒れていた尾崎さんが発見され、墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれるも妻と兄と共に帰宅。

その後、10時頃になって容体が急変し、搬送先の日本医科大学付属病院で手当てを受けましたが、午後0時6分に死亡が確認されました。

死因は覚せい剤を大量に摂取(オーバードース)したことよる急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫(はいすいしゅ)。
最後まで覚せい剤との影が見え隠れした人生でもありました。




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