ザ・ドリフターズから独立して、1959年11月「雨は泣いている」でデビューした歌手の「井上ひろし」さん。
1960年からはリバイバル曲がヒットし、1961年には、NHK紅白歌合戦にも出場しました。
しかし、その後は低迷し、1970年代には地方のキャバレーをドサ回りする日々を過ごしていた井上さん。
そんな井上さんが亡くなったのは、1985年のことでした。
名前:井上ひろし(いのうえひろし)
本名:井上博
生年月日:1941年8月23日~1985年9月19日(享年44歳)
職業:歌手、俳優
出身:神奈川県横浜市
Sponsored Links
昭和30年代後半の井上ひろしさんは、170センチの長身と甘いマスクで、当時の人気スターの一人でした。
しかし、その後はヒットに恵まれず、1978年には大好きな酒の飲み過ぎから肝硬変を患い、4年間の入院生活を送った後、歌手を引退していたのです。
その後は料理店経営を目指し、調理の勉強を始めに近所の飲食店で働いていました。
そんな井上さんが亡くなったのは、1985年9月19日ことです。
死因は心筋梗塞でした。
9月22日には横浜市内の自宅で告別式が行われ、駆けつけた当時のビクター制作部長・飯田久彦さん(現・テイチクエンタテインメント代表取締役会長、エイベックス・エンタテインメント取締役)はこう語りました。
僕は井上さんと九ちゃん(坂本九さん)が一緒にやってた昭和37年、二人のバンドボーイとして歌の世界に入ったんです。お酒が好きで毎日買いに行くされたものです。九ちゃんは井上さんの結婚式にも出席したし、最近も井上さんのことを心配していました。井上さんも九ちゃんの死にショックを受けていたようです。二人が次々に亡くなるなんて…井上さんの遺影に向かって、「天国で九ちゃんと仲良くやってください」と語りかけました。
生涯独身だったと言われることがありますが、実は井上さんは長年のファンだった武田明子さんと結婚しています。
しかし、二人は1年たらずで離婚。
その原因になったのも酒でした。
大ヒット曲「雨に咲く花」の流れる葬儀の席には、ひっそりと目にハンカチをあてる元妻・明子さんの姿もあったのです。
「参列したファンの思い出を壊したくない」との配慮から、遺影には全盛時代の写真が飾られました。
前月の日航機事故で亡くなった旧友・坂本九さんの後を追うかのような急死だったのです。
Sponsored Links
この記事へのコメントはありません。