1959年3月に滝沢修さんらと共に劇団民藝を創設。
自身も映画「愛妻物語」や「第五福竜丸」、「人間の壁」に出演し、俳優で映画監督でもあった「宇野重吉」さん。
同じく俳優として活躍する寺尾聰さんの父親としても知られています。
そんな宇野さんが亡くなったのは1988年1月9日のことでした。
名前:宇野重吉(うのじゅうきち)
本名:寺尾信夫(てらおのぶお)
生年月日:1914年9月27日~1988年1月9日(享年73歳)
職業:俳優、演出家、映画監督
出生地:福井県足羽郡下文殊村(現・福井市太田町)
学歴:日本大学芸術科
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俳優で映画監督の宇野重吉さん。
そして息子で俳優の寺尾聰さんにはこんなエピソードがありました。
それは1982年の3月、当時、寺尾さんが「ルビーの指輪」の大ヒットで、全国ツアーのリハーサルをしていた時のことです。
そこへ石原プロの小林専務(当時)と石原裕次郎さん、そして父親の宇野重吉さんの4人がやって来たのです。
もちろん、この突然の訪問は誰も知らず、寺尾さん自身も驚きました。
何しろの自身が所属する石原プロモーションの小林専務と裕次郎さんはともかく、父親の字野さんは寺尾さんの音楽活動には全くと言っていいほど無関心だったからです。
そのことは、寺尾さんがわざわざ父親である字野さんに頭を下げて、「どうもありがとうございます」と言ったことからも伺えました。
しかしこの時、宇野さんは一言も話さず、にっこりと微笑むだけで、しばらくして挨拶もしないままに帰って行ったのです。
そんな字野さんは1987年3月に肺癌の摘出手術を受けてから、自ら癌であることを告白。
その後も、宇野重吉一座を率いて、年間100回以上もの地方公演をこなして来たのです。
それはまさに癌との闘いの日々でもありました。
1988年12月、最後の舞台となった東京・日本橋の三越劇場での公演「馬鹿一の夢」では、楽屋で点滴と酸素吸入を受けながら舞台に立っていました。
また、楽屋から舞台までは若い人に背負われながら上がる毎日。
そんな鬼気迫る執念で24日の千秋楽まで務め上げ、その後ホッとしたのか数日後の28日に力尽きて再入院しています。
その後は気管切開の手術を受け、筆談しかできない容体になっていました。
こうして1988年1月9日正午、宇野さんは肺癌のため東京都渋谷区の榊原記念病院で亡くなります。
2月9日夜、遺体の戻って来た東京・目黒区柿の木坂の自宅前で、寺尾さんは会見に望みました。
楽日(千秋楽のこと)の数日前から、自宅でも点滴を受けて寝ていました。立ち上がることがなかったので、舞台で歩くなんて信じられなかった。
と語った寺尾さん。
記者から「何か遺言は?」の質間に対して、
遺言とは思ってませんが、死の数日前、病室で僕が顔を近づけると人指し指で「がまん」と書きました。いつも「がまんが大事」と言ってくれてましたから。あるいは、父が自分に言い聞かせた言葉なのかも知れません…
と答えたのです。
また、宇野さんの巡業に対する質問では、
息子としては休んで欲しいという気持ちがありましたが、父の素晴らしい仕事をしたいという情熱の前では、何も言えなかった。仕事の上で教わったことは、「遅刻をするな」ということぐらいでしたが、ただ目には見えないもので、父の息子というプライドは僕の中に残ったと思います。
とコメント。
劇団民藝の劇団員には、厳しいと評判だった宇野さんでしたが、息子の寺尾さんからすると、
非常に優しい父で、殴られたということもありませんでした。確かに厳しい人だったかも知れませんが、愛情深い人でした。でも、僕は親不孝でしたから…
と寺尾さんは語ったのです。
翌10日、神奈川県川崎市麻生区にある劇団民藝の稽古場で、しめやかに宇野さんを「偲ぶ会」が営まれました。
これは生前より宇野さんの「葬儀、告別式など一切やらないでくれ」との遺言に従い、劇団民藝独自で執り行ったもので、この席に寺尾さんは遺影を持って駆けつけました。
列席者の献花の後、故人の親友であった劇団民藝の代表で、葬儀委員長の滝沢修さんが挨拶。
列席した女優の樫山文枝さん(当時45歳)は目を押さえつつ、
稽古では、「お前ェバカ野郎!」とよく怒鳴られ、厳しい人でしたが、「自分はお前らの父さんだと言って、俺には何でも話せ」と仰ってくれました。泣いたりするのを嫌がった方でしたから、今日は泣きません。
とコメントしました。
そして、樫山さんはこんな話も語っています。
先生は、聰ちゃんのことをいつも気にかけていたと思います。忘年会などでは、照れながら「いつまでもいつまでも」をよく歌ってらっしゃいました。
寺尾さんの仕事には無関心だったという宇野さんが、カレッジ・フォーク・グループ「ザ・サベージ」時代の寺尾さんのヒット曲を歌っていたと言うのです。
また「ルビーの指輪」がヒットしていた時も、
最近、聴の歌がヒットしてるみたいだね。
と洩らしていたと言います
息子・寺尾さんも知らない宇野さんの一面でした。
「癌野郎に負けてたまるか!」そう言いながら舞台に立ち続けた宇野さん。
最後の舞台を見て、ああいう父を持って誇りに思えました。
と寺尾さんはしみじみと語ったのです。
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