1980年代

シャネルズ…なぜ2か月間も活動停止したのか?!

22年にわたり活動を休止している音楽バンドのラッツ&スター(RATS & STAR)。
それ以前は、「シャネルズ」(CHANELS、後にSHANELSに変更)という名前で活動していました。

そんなシャネルズが活動を休止したのは1982年1月のこと。
果たして当時、シャネルズには何があったのでしょうか。

シャネルズ

バンド名:ラッツ&スター(RATS & STAR)
旧名称:シャネルズ(CHANELS)
旧名称:シャネルズ(SHANELS)
レーベル:エピックレコードジャパン
メンバー:
鈴木雅之(リードボーカル)、田代まさし(テナーボーカル)、佐藤善雄(バスボーカル)、久保木博之(トップテナーボーカル)、桑野信義(トランペット・ボーカル)、出雲亮一(ギター・ボーカル)、新保清孝(ドラムス・ボーカル)
旧メンバー:
須川泰男(ギター)、高橋進(ベース)、山崎廣明(キーボード)




Sponsored Links
 

シャネルズは1982年1月1日より3月までの2ヵ月間、シャネルズとしてのコンサート、ライブ、公開録音等の演奏活動を休止することになりました。

このような書状が各メディアに届いたのは1981年12月1日のことでした。

人気急落やメンパーが急病というのなら理解もできますが、当時のシャネルズは人気も上々。
そのため、誰もが首を傾げたのです。

この理由に対して、リーダーの鈴木雅之さんはこのようにコメントしています。

この1年間頑張ってきたけれど、僕らは正直いって器用じゃない。音楽的にも蓄えてたものを全部はき出しちゃった。それで2ヵ月間音楽活動を休止して、元の職場に戻って技術面でも精神面でも充電しようというのが狙いなんです。

事務所の藤岡社長も、

シャネルズは素人っぽさを持ってやっていました。そのバックボーンは彼らが勤労青年として、職場で得てきたものです。ところがブラウン管で生活してる間に、素人っぽさが希薄になってきた。メンバーに危機感が出てきたので、いわばシーズンオフのような期間を取り、初心に返って職場というかアルバイトをやって、パワーアップしようというわけです。

と語ったのでした。

しかし、2ヵ月間のオフというのは少し長い気もします…
当時からサイクルが短いことでも知られている音楽界で、オフの間に人気ガタ落ちする可能性もありました。

そうした危険を冒してまでオフを取る理由があったのでしょうか。

コンサートではギャグやコントをやるが、笑いのポイントが会場と微妙にくい違ってきたんです。もともと若いファンと同じシチュエーションに立っていたはずなのに、オチが決まらなくなったんです。

と鈴木さん。
また、流行にも敏感だったシャネルズが、感覚的に遅れてきたとも感じていました。

そして、鈴木さんはもう一つの大きな理由としてテクニックの弱さを挙げました。

個人個人のテクニック、精神面の弱さが見え始めたんです。いつもフレーズを問違える奴がいるし、恥ずかしい話だけど譜面が読めない奴もいる。僕らはレコードを出すためのグループではないし、もう一度働きながらレベルを上げる作業をしたいんです。

そう判断した鈴木さんは、藤岡社長と相談してオフを取ることを前年の1981年11月初句に決定したのです。
幸いテレビやラジオのスケジュールはあまり入れてなかったこともあり、コンサートを7~9月に延期して2カ月間のオフを確保しました。

では、この2ヶ月間でメンバーは何をしていたのでしょうか。
実はシャネルズはデビュー前に、川崎や蒲田で働いていました。

佐藤善雄さん(バスボーカル)はデパートの派遣店員。
田代まさしさん(テナーボーカル)はトラック運転手で、久保木博之さん(トップテナーボーカル)はガソリンスタンドの店員でした。

また、桑野信義さん(トランペット・ボーカル)と高橋進さん(ベース)はトラックの運転手、新保清孝(ドラムス・ボーカル)もガソリンスタンド店員だったのです。

出雲亮一(ギター・ボーカル)さんはアンテナ屋、山崎廣明(キーボード)は材木店で働いていました。
リーダーの鈴木さんが旋盤工だったこともファンの中では有名な話です。

このように早々と職場復帰が決まったのも、川崎や蒲田の土地柄がありました。

みんな知ってる人たちだし、心よく迎えてくれます。

と語る鈴木さん。
働きながら各人がテクニックを磨き、時間の許す限り勉強会を開いていました。

旅行に出るなんてことはしません。2ヵ月間働いてパワーを蓄積し、3月に入ったらオフを終えてキャンプイン。3月19日から、東京・久保講堂での5日連続のコンサートを皮切りに、全国60ヵ所でのコンサートになだれ込みます。

とコメント。

こうして1982年1月にシャネルズは活動を休止。
メンバーは昼間は旋盤工などの仕事をし、夜に集まって練習をするという生活に戻りました。
そうして宣言通り2ヶ月後に復帰し、この時に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」と変えています。




Sponsored Links
 



ピックアップ記事

  1. 愛内里菜…不倫相手のA氏のマンションで息子と暮らす?!
  2. 羽生善治と畠田理恵の馴れ初めと結婚式の裏話
  3. 安藤聖は浮気で松田洋昌と離婚したって本当なの?!
  4. 竹内まなぶの実家「スーパータケウチ」は茨城のここ!?
  5. 長者番付からわかる芸能人の年収(1975年度)

関連記事

  1. 1980年代

    石田紀子…最後のフライトで墜落事故に遭う

    テレビドラマ「燃えろアタック」や「おし…

  2. 1980年代

    田中裕子…沢田研二との出会いと馴れ初め

    1979年のNHK連続テレビ小説「マー…

  3. 1980年代

    竹中直人と美保純が過去に熱愛宣言をしていた件

    俳優、声優、映画監督、タレント、コメディアン、歌手などなど、マルチに活…

  4. 1980年代

    羽川豊…嫁・松田恵子との出会いや馴れ初めとは?

    プロテストでは、当時の新記録(−8)を…

  5. 1980年代

    杉山清貴…元嫁・柳沢裕子との馴れ初めから結婚まで

    「君のハートはマリンブルー」や「ふたり…

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

Sponsored Links
Sponsored Links

最近の記事

  1. 山本譲二…妻の植木悦子との馴れ初めとは?!
  2. 松田聖子…デビュー5年目でも収入はとんでもなかった?!
  3. 牛島和彦…妻の光江との馴れ初めから結婚まで
  4. 八千草薫…メニエール病という病気を患ったことがある?!
  5. 具志堅用高…妻・香澄との馴れ初めから結婚まで
  6. 森繁和…妻・靖子との馴れ初めはファンレターだった?!
  7. 久米宏 …愛人が自殺未遂をして謹慎処分になったことがある?!…
  8. 倉田保昭…クラタスポーツ・スタジオを全国展開しようとしていた…
  9. ジャッキー佐藤とナンシー久美…ジャパン女子プロレスリング設立…
  10. 都はるみ…引退の理由は中村一好が関係していたのか?!
Sponsored Links

おすすめの記事

Sponsored Links

注目記事

Sponsored Links
  1. 2010年代

    鶴ひろみ…首都高車内での死因は「心臓突然死」?!
  2. 1990年代

    長者番付からわかるスポーツ選手の年収(1996年度)
  3. 2000年代

    野村貴仁…巨人では外国人選手ヒルマンからグリーニーを入手していた?!
  4. 1980年代

    フランク永井…自殺未遂の原因は何だったのか?!
  5. 2000年代

    水嶋ヒロ…小説の裏話と現在の活動はどうなってる?
PAGE TOP