1970年代

萩本欽一…奥さんとの馴れ初めが感動する件




 

日本野球連盟茨城ゴールデンゴールズの初代監督であり、元祖・視聴率タレントといえば「萩本欽一」さんです。

そんな萩本さん(当時35歳)が「引退覚悟で記者会見に臨んだ」のは、1976年7月5日夜のこと…
これには奥さんとの馴れ初めが関係していました。

名前:萩本欽一(はぎもときんいち)
生年月日:1941年5月7日(78歳)
職業:コメディアン、タレント、ラジオパーソナリティー、演出家
所属:浅井企画、佐藤企画、萩本企画
出身:東京都台東区
学歴:駒澤大学仏教学部中退



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1970年代から80年代前半にかけ司会を務めた萩本さんの番組はことごとく30%台を記録…
その合計数字から”100%男”の異名をとったほどでした。

そんな萩本さんが引退覚悟で臨んだ記者会見…
会見場のレストランは詰めかけた記者たちであふれ返っていました。

会見で、萩本さんは開口一番「ボク結婚しちゃったの」と報告…
しかも7カ月になる男の子もいるという爆弾発言をしたのです。

引退を覚悟したのも、いきなりの隠し妻と隠し子の公表でマスコミから叩かれると思ったからでした。

しかし、会見では拍手が起こり、報道でもほとんどが「13年愛を実らせて欽ちゃんが結婚」と好意的に伝えたのです。
これには相手の澄子さん(当時37歳)がつつましやかな女性で、萩本さんが一途に思い続けてきたことが記者たちにもわかったからでした。

2人が出会ったのは1963年の春…
浅草のフランス座に出演していた萩本さんのコントを澄子さんが見にきていたのがきっかけでした。

澄子さんはフランス座の階下にある東洋劇場というストリップ小屋の踊り子…
芸名は高峰みゆきさんと言いました。
腰までとどく黒髪とグラマラスな肢体で劇場トップの人気を誇っていたのです。

ショーの合間にコントを見にきてくれる澄子さんを萩本が意識するようになるのですが、このときは言葉を交わすことはありませんでした。
芸人が踊り子に声をかけるのはご法度だったからです。

萩本さんが半年間、地方に巡業に行くことになって、澄子さんが送別会を開いてくれたのですが、この時もほとんど口をきけなかったそうです。
別れ際、澄子さんはネックレスをはずして、「困ったら質屋に持っていって」と萩本さんに渡しました。

2人が急接近するのは萩本さんが浅草に舞い戻ってから…

酔っぱらった澄子さんがいきなり、萩本さんの下宿を訪れ、そのまま寝てしまったのです。
翌日、萩本の部屋にテレピが届けられました。
「今どきの芸人はテレビくらい見なくちゃダメ」との澄子さんの配慮でした。

その後も澄子さんは下宿にやってきては家財道具を揃えたり家賃を払ってくれたのです。
夫婦同然に暮らしていた2人でしたが、澄子さんは突然、萩本さんの前から姿を消してしまいます。

それは萩本さんが、坂上二郎さんとコント55号を結成し、テレビに出始めた頃でした。
自分の存在が萩本さんの前途にマイナスになると思ってのことでした。

居場所をやっと突き止めプロポーズした萩本さんでしたが、澄子さんは決して首を縦に振らなかったのです。
彼女が望んだのは「欽ちゃんの子どもが欲しい」ということだけでした。
そのため萩本さんは、子どもができたら、きっと結婚できると思って子づくりに励んだそうです。

結果、1975年12月2日に長男が誕生…
けれど澄子さんは萩本さんから渡されていた婚姻届を役所になかなか出しませんでした。

ずっと日陰の身でいるべきではないかと気持ちが揺れていたのです。
そうして半年以上が経過し、萩本さんは澄子さんに踏ん切りをつけさせるために、引退覚悟で記者会見という実力行使に打って出たのでした。

その後、お二人の間には3人の息子ができ、2014年12月に日本経済新聞で連載された「私の履歴書」では結婚に至る詳しい事情や家族のことが実名入りで紹介されています。




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