1991年のフジテレビ系ドラマ「東京ラブストーリー」の永尾完治(カンチ)役で大ブレイク…
さらに「踊る大捜査線」シリーズで15年にわたって主役を務めたと言えば「織田裕二」さんですね。
しかし、そんな織田さん…
20代のときに自身の主演映画で監督らと大モメする事件を起こしていたのです。
名前:織田裕二(おだゆうじ)
生年月日:1967年12月13日(51歳)
職業:俳優、歌手
所属:BAC CORPORATION
出生地:神奈川県川崎市
学歴:桐蔭学園小学校・中学校・高等学校
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1993年9月に発売された雑誌「シナリオ」10月号に、金子修介監督(当時38歳)が「『卒業旅行 ニホンから来ました』演出ノート にっちもブルドッグ」という手記を寄せました。
これはメガホンを取った当時公開中の映画「卒業旅行ら来ました」の製作裏話が記されていたのです…
「この映画に関わった人々に、若い俳優ひとりコントロールできなかった僕の非力を、誌面を借りてお詫びしたい。」と締めくくられ、織田さん(当時25歳)への批判が骨子だったのです。
「卒業旅行」は東南アジアの架空の小国を旅行する冴えない大学生が、現地でスターになってしまうコメディ映画…
撮影は、ほぼ全編タイで行われました。
織田さんと金子監督は1991年の映画「就職戦線異状なし」でもコンビを組み、気心が知れていたのですが、冒頭からつまづきます。
3月下旬に監督が織田さんに出来上がった脚本を見せたところ、「僕はこの脚本に興味がないんですよ」との反応…
まず、シナリオ変更を巡り、脚本家とモメたのです。
細部では織田さんがピンク・レディーの「ペッパー警部」を歌うシーン…
「女の歌だから歌いたくない」と嫌がる織田さんを説得すると、「僕がバカになればいいですね」と捨てゼリフを吐いたそうです。
その後、何とか4月下旬にタイで撮影がスタートしたのですが、織田さん側の要求はエスカレートします。
一つは、撮影現場へのベンツでの送り迎え…
さらに、共演の鹿賀丈史さんでさえ、スタッフらと同じ割安な宿に泊まっているのに、現地の最高級ホテルを要求したといいます。
そして、撮影が6割程度終わった段階で事故が起きます…
花火を使った撮影で織田さんが火の粉を浴び、髪の毛を焦がしてしまうという事件が起きました。
その件に関してスタッフの謝罪が不十分という理由で、織田さんは1000人の現地エキストラが集まっていたのにも関わらず、撮影続行を拒否…
「降りる」と宣言したのです。
翌日、謝罪文をプロデューサーに書かせることを条件に、織田さんは現場に現れましたが、謝るスタッフに怒鳴って再び撮影をポイコットしました。
同時に織田さん側はスポンサーを通じてスタッフ数人の交換を要求…
スポンサー命令で日本から織田さんと旧知のスタッフを呼ぶことになったのです。
これに金子監督は「権力を利用して人を切るという卑劣な行為、人間として許せない一線を越えてしまった。」と憤ったのです。
それでも数千万ともいわれる追加出費で、映画はどうにか完成…
織田さんはコメントしませんでしたが、事務所は、
火の粉は織田だけではなくエキストラのタイ人にもかかっていて、彼らも危険だった。日本の規制に準じた安全確保体制を取ってもらいたかっただけ
スタッフの追加は事実だが、切ったスタッフはいない
と反論しました。
そんなゴタゴタの中で映画は完成…
評判も興行成績も上々だったのが、唯一の救いと言えるでしょう。
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