かつて、女子レスリングの女王として知られていた「山本美憂」さん…
彼女は五輪出場の夢は果たせませんでした。
世界選手権を3度も制した山本さんが、五輪に出場できなかった理由とは一体何なのでしょうか。
名前:山本美憂(やまもとみゆう)
生年月日:1974年8月4日(44歳)
職業:女子レスリング選手、総合格闘家
所属:KRAZY BEE
出身:神奈川県川崎市
国籍:日本、カナダ
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2011年6月、”元祖・レスリングの女王”として知られる山本美憂さんが、2012年のロンドン五輪出場を目指し、現役復帰を発表しました。
このニュースが報じられたとき、誰もが「もう無理だろう」と思ったのではないでしょうか。
なにせ、引退してから7年以上ものブランクがあり、肉体的にもピークを過ぎた36歳での挑戦…
世界選手権を3度も制した全盛期の強さを知っている人でも、無謀だと言わざるを得ませんでした。
ただ、当時の女子48㎏級は、国内で無敵を誇った五輪2大会連続銀メダリストの伊調千春さんが2010年に引退し、まさに群雄割拠で、山本さんにもチャンス到来の状況でした。
ところが、51㎏級で世界選手権V6の実績がある小原日登美さんが、48㎏級に鞍替え…
小原さんは48㎏級で出場した2010~2011年の世界選手権で連覇を果たしロンドン五輪の大本命に浮上しました。
代表権をかけた全日本選手権で優勝を逃しても五輪出場が濃厚な小原さんに対し、山本さんが代表を勝ち取るためには優勝が絶対条件でした。
そのうえで圧倒的なパフォーマンスを見せ、小原さんに勝利する必要があったのです。
山本さんはそんな不利な下馬評を覆すべく、12月の全日本選手権に出場しました。
しかし、全盛期のキレにはほど遠く、2回戦で高校生の登坂絵莉さんに完敗…
代表には小原さんが選ばれ、五輪出場は夢と消えたのでした。
思えば山本さんの競技人生は、不運の連続でもありました。
わずか13歳で全日本選手権を優勝…
天才少女の出現と騒がれましたが、当時は年齢制限のため世界選手権に出場することができなかったのです。
2004年のアテネ五輪で女子レスリングが初めて正式種目に採用されることになりますが、このときはすでに引退しており、急遽復帰を決めたものの選考会で敗れ五輪出場はなりませんでした。
ただ、もっと早く五輪種目になっていれば、山本さんの五輪出場やメダル獲得は叶ったかもしれません…
それだけ全盛期の強さは際立っていたのです。
アテネ五輪の年、山本さんは30歳になっており、たしかに体力的には下り坂でした。
しかし、それ以上に山本さんを不遇の人へと追い込んだ原因は、自身の”恋愛至上主義”にある、と言われていたのです。
1995年に元Jリーガーの池田伸康さんと結婚を決めると、あっさりと現役引退…
1994~1995年に世界選手権を連覇し、全盛期を迎えていただけに、レスリング界は大混乱となりました。
1999年に池田さんと離婚すると同時に現役復帰を果たすと、アジア選手権、全日本選手権で立て続けに優勝…
健在をアピールしました。
ところが、2000年に格闘家のエンセン井上さんとの再婚を機に2度目の引退…
この結婚生活も長くは続かず、2004年に終わりを迎えました。
山本さんには「妻は夫を支えるもの」という考えがあり、レスリングよりも結婚生活を選んだのだそうです。
結婚と引退を繰り返すことなく競技に集中していたら、アテネの表彰台に立っていたかもしれません。
2006年に結婚したアルペンスキーの佐々木明さんとも、2011年に離婚…
バツ3となった山本さんは、2016年のリオ五輪出場に意欲を見せていましたが、リオ五輪出場の道が閉ざされたのを機に、総合格闘技への参戦を表明しました。
五輪で金メダルを取ることは本人のみならず、山本家の悲願…
父の郁榮さんは、ミュンヘン五輪に出場したものの、不可解な判定で敗れメダルを逃しました。
そこで夢を長女の美憂さん、次女の聖子さん、そして長男の徳郁さんに託したのだそうです。
残念ながら3人とも五輪の舞台には届きませんでしたが、郁榮さんは「山本家から金メダリストが出るまで指導者をやめない」とまで語っていました。
最近の山本美憂さんと言えば、2017年3月に写真週刊誌FLASH(光文社)で「最強ヌード」と題された大胆な姿を披露したり、同年5月には初のヌード写真集「Queen」の発売が決定しています。
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