亡くなった後も熱狂的なファンが多い「松田優作」さん。
「人間の証明」(1977年)、「野獣死すべし」(1980年)…
亡くなった森田芳光監督の「家族ゲーム」など日本を代表する映画に出演し、さらに米映画「ブラック・レイン」(1989年)での好演で知られる不世出の俳優です。
その絶頂の最中、松田さんは膀胱がんのため40歳の若さで亡くなりましたが、鮮烈な印象を今も残すこの名優に、逮捕歴があったことを覚えている人はほとんどいないでしょう。
名前:松田優作(まつだゆうさく)
生年月日:1949年9月21日~1989年11月6日(享年40歳)
職業:俳優、歌手
出身:山口県下関市
学歴:関東学院大学文学部(中退)
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松田さんが逮捕されたのは1976年1月30日のこと…
前日、東京地検刑事部から出頭書が届き、地検を訪れるとそのまま拘束されてしまいました。
原因は前年7月19日の暴行容疑です。
テレビドラマ「俺たちの勲章」のロケで鹿児島市を訪れていた松田さんは撮影が終了し、共演者やスタッフたちと天文館通りに繰り出しました。
いくつも店をハシゴした末、午前4時ごろ、おにぎり屋に入ります。
一緒にいた女性2人を松田さんと俳優のⅠがそれぞれ送っていくことになりました。
ところが、タクシーがつかまらず松田さんと女性はまたおにぎり屋に戻ることに…
その途中の路地で事件は起きました。
酔っぱらって大声を上げていた松田さんと女性がケンカしていると、通りかかった地元の19歳の予備校生が勘違い…
予備校生が仲裁に入ったのです。
これに逆ギレした松田さんが予備校生を殴り、そこへ女性を送り届け戻ってきたⅠが加わってボコボコにしてしまいました。
松田さんは空手2段…
予備校生は全治3カ月の重傷を負いました。
それにしても、なぜ半年も経ってから逮捕されたのでしょうか?…
示談も成立していたのです。
実は、検察は松田さんを逮捕する前にⅠを取り調べていました。
Ⅰは自分一人でやったと言い張り、松田さんをかばったのです。
ところが、これが良くありませんでした…
口裏を合わせているのではと疑われ、検察は松田さんの取り調べも必要との判断に傾いたのです。
実は松田さんが起こした暴力事件は、これが初めてではありませんでした…
1975年3月、新宿の飲み屋でもいざこざを起こしているのです。
店にいた雑誌記者をポカリとやってしまったのでした。
記者も酒癖が悪いことでは有名で、同情する人は少なかったのですが…
そして鹿児島の事件です…
松田さんは”酒乱”のレッテルを貼られてしまいました。
ちょうどその頃、松田さんは最初の結婚をしています。
相手は3年間同棲していた同郷・山口県の女性で作家の松田美智子さん…
入籍に合わせ、渋谷に近い代沢から神奈川県大和市の旧米軍ハウスに住まいを移しています。
これも彼を繁華街から離れたところに引っ越しさせて少しでも酒の上のトラブルをなくそうという事務所側の配慮だったといいます。
鹿児島事件では1976年3月、懲役10月・執行猶予3年の判決が下ります。
謹慎生活を余儀なくされた松田さんですが、同年5月に映画「暴力教室」で復帰を果たします。
この圧倒的な存在感を示す役者を映画界は放っておかなかったのです。
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