「とんでとんで…」で有名な「夢想花」のヒットで知られる円広志さん…
そんな円さんが「パニック障害」を発症し、治療のためにレギュラー出演する全番組を降板する騒ぎになったのは1999年のことでした。
名前:円広志(まどかひろし)
本名:篠原義彦(しのはらよしひこ)
生年月日:1953年8月21日(64歳)
職業:シンガーソングライター、タレント、作曲家
所属:オフィスとんで
出身地:高知県安芸郡野根町(現・東洋町)
学歴:追手門学院大学経済学部
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円さんは1978年の「夢想花」ヒット後はトークの才能を発揮…
主に関西ローカルのバラエティー番組を中心に活躍していました。
レギュラーを6本も抱える忙しさだったのです。
しかし、45歳の時、番組生放送中に「このまま気を失って倒れるのではないか」という激しい恐怖感に襲われます。
本番前に椅子に座っている時から、まるで世界がぐにゃりと歪むように感じ、本番中に立っていられなくなったのです。
共演者が驚く中、ついに椅子に座ってしまいます。
1時間の生放送が本当に長く感じられて、ひたすら時間が過ぎ去るのを待つ、地獄のような苦しさだったといいます。
さらに、車の運転中にも発作は起きました。
渋滞や信号で車が止まったにもかかわらず、周りの景色が流れていく感覚に襲われ車を置いて逃げ出したい衝動にかられたのです。
当初は不安を酒でごまかしていました。
酒を飲むと不安が解消…
「日が暮れると砂漠でオアシスを見つけたときのようにガブガブ飲んだ」といいます。
体調不良と酒浸りの日々は半年以上続き、ついに1999年9月にすべてのレギュラーを降板しました。
円さんはテレビの仕事をやめたら、少しは楽になると考えていたのですが、実際には逆でした。
症状はどんどん悪化…
カーテンを開けて空を見て鉛色に見えるだけで絶望感を感じ、布団に逆戻りする日々が続いたのです。
徳島の別荘で転地療養も試みました。
しかし、途中の高速道路が不安で、生きた心地がせず、発作の不安からも解放されなかったのです。
当時はまだ「パニック障害」という病気の認知度は低く、病院を転々としました。
病名がわかったのは6軒目の耳鼻咽喉科のめまい外来を受診した時…
ここで「パニック障害」と診断され、1日3回服用する治療薬と発作時の応急薬を処方してもらうようになって症状は快方に向かいました。
パニック障害では完全休養すると長期化やうつ症状など病気の悪化を招くことがあります。
円さんの場合、キャンセル料を避けるためにステージの仕事だけは無理してでも続けたことが幸いした。
スポットライトに恐怖を感じる円さんのため、ステージ全体を明るくするなどの配慮もなされました。
妻も闘病を支え、かつては”鬼嫁”呼ばわりしたこともありましたが、洗濯する妻の背にしがみつき、寝る時も手を握りしめたといいます。
円さんは4ヶ月後、仕事を再開…
「戻ってくるまで待ってるから」というスタッフの言葉通り、上沼恵美子さんと共演するバラエティーでは円さんの席が以前と同じように用意されていました。
その後も闘病は長く続きましたが、円さんは“がんばりすぎない”ようにしながら仕事を増やしていったのです。
2009年1月に「僕はもう一生分泣いた―パニック障害からの脱出」を出版して話題になりました。
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