1979年のNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」でデピュー…
1983年の「おしん」では主役を演じてブレークした「田中裕子」さん。
私生活では1980年代に芸能界の話題の中心にいたのです。
理由はグループサウンズ「ザ・タイガース」のボーカル、沢田研二さんとの交際・結婚でした。
名前:田中裕子(たなかゆうこ)
本名:澤田裕子(さわだひろこ)
生年月日:1955年4月29日(64歳)
職業:女優
所属:アニマ出版
出生地:大阪府池田市
学歴:明治大学文学部演劇学科卒業
Sponsored Links
二人の出会いは1982年4月、田中さんが26歳の時でした。
当時再結成したザ・タイガースのコンサートで沢田さん(当時33歳)と対面…
その後、同年末の映画「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で共演し、この頃から2人の熱愛が囁かれるようになったのです。
1983年夏頃には沢田さんが田中さんのマンションに通う姿も目撃されました。
沢田さんは当時、双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の姉、7歳年上の伊藤エミさんと結婚していました。
田中さんとの不倫のウワサに対しては田中さんも沢田さんもノーコメント…
芸能リポーターに対し、沢田さんが怒りを露わにすることもあったのです。
しかし1986年8月、沢田さんが妻と一人息子を残して家を出たことで状況は大きく変わります。
沢田さんは判を押した離婚届を置いていったといわれ、1987年1月7日に正式に離婚が成立しました。
沢田さんは体ひとつで家を出ており、テニスコートなどを含めた総額18億円ともいわれる資産は慰謝料としてほとんどが夫人に譲渡されました。
離婚が成立したことで世間の興味は、当然のことながら田中さんとの再婚に向きます…
3月には横浜の高級住宅街のマンションでの同居が報じられて、近所の住人に仲良く散歩する姿を目撃されました。
同年5月には京都に小旅行へ出かけ、友人たちに”夫婦お披露目会”も行ったのです。
しかし、事態は進展しませんでした。
離婚直後には沢田さんの育ての親ともいえる渡辺プロダクションの渡辺晋社長が亡くなり、9月には一連のトラブルの影響からか、ファンクラブも解散…
ヒット曲にも恵まれなかったのです。
そんな状況も理由なのか、田中さんが結婚に積極的な姿勢を見せていないという声もありました。
また、沢田さんも仕事のスランプから抜け出すためには、家庭に安住してはいけないという思いがあり、「結婚しない」と宣言していたという証言も出ていたのです。
そのため、入籍の延期どころか、不仲説や破局説が流れることさえありました。
マスコミもことの真相をつかみかねる中、動脈瘤で療養生活を送っていた田中さんの父親が亡くなります。
葬儀の当日、沢田さんはライブの合間に駆けつけて参列しましたが、一般弔問客ではなく親族席…
出棺の際も田中さんの後ろに控え、沢田さんはすっかり身内として認められていたのです。
その後、一周忌の喪が明けたのをき機に、ケジメをつけて心機一転したい沢田さんは結婚を決意…
NHK大河に出演予定の田中さんに「私生活もすっきりするように」と要望があったとも書かれました。
挙式は1989年11月12日に出雲大社で行われました。
他の5組のカップルと一緒に、初穂料2万円の挙式でした。
28日の都内ホテルでの披露宴も中継や取材はなし…
宴の最後には、
私は沢田さんという大好きな神様に会えたことを感謝します
という田中さんの日記が読み上げられたのです。
Sponsored Links
この記事へのコメントはありません。