アニメ「じゃりン子チエ」などの声優としても知られている「中山千夏」さん(当時29歳)とジャズピアニストの佐藤允彦さん(当時36歳)の夫婦が東京・港区役所赤坂支所に離婚届を提出したのは1978年1月18日のことでした。
離婚に至る原因は一体何だったのでしょうか。
名前:中山千夏(なかやまちなつ)
生年月日:1948年7月13日(71歳)
職業:作家。元歌手、元女優、元司会者、元テレビタレント、元声優、元参議院議員
出生地:熊本県山鹿市
学歴:麹町学園女子高等学校卒業
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マスコミに伝わるのは早くても1週間後と千夏さんは予想していましたが、2日後にはスポーツ紙や週刊誌の直撃を受けたのです。
記者たちが提出の時刻や提出したのが誰かまで知っていることに千夏さんは驚き、呆れました。
まだ友人たちにも話していない段階で情報が漏れたのです。
役所の人間がリークしたとしか考えられませんでした。
信じられないことですが、当時は芸能マスコミはタレントが多い地区の役人とつるんで情報をもらっていたのです…
個人情報にうるさくなった現在では考えられないことですが。
千夏さんは1969年から「お昼のワイドショー」(日本テレビ系)にレギュラー出演…
司会役の青島幸男さんと横山ノックさんのアシスタントを務めました。
社会問題をしばしば取り上げ、千夏さんは自分の意見を積極的に発言…
かつての名子役は知性派マルチタレントに変身を遂げていました。
佐藤さんと結婚したのは1971年1月2日…
年賀状には連名で、
急転直下の事の成り行きに流されて、熊本県天草島の大江天主堂にて結婚いたします
と書かれていました。
友人の誰一人として彼らが一緒になるとは想じていませんでした。
馴れ初めは、仕事で知り合って飲んだ時、酔った佐藤さんがデートを申し込むと、千夏さんは「母がうるさいから結婚すれば別だけど」と答え、そのままゴールイン…
ほとんど交際期間もありませんでした。
その後、千夏さんはウーマンリブ運動にのめり込みましたが、佐藤さんは理解を示しました。
1977年、千夏さんが革新自由連合の発足に尽力する際には佐藤さんも参加…
はた目にはうまくいっているように見えました。
それなのになぜ破局したのか?…
2つの理由が取り沙汰されました。
1つは子どもが死産して以降、男女の関係が薄れていったこと…
もう1つは矢崎泰久さんとの関係です。
千夏さんが妊娠したのは1973年…
11月末が予定日でしたが、6月に受けた卵巣嚢腫の摘出手術が影響して早産になりました。
9月6日に生まれた女児はすでに息がなかったのです。
ただ、これを離婚の原因とするのは早計かもしれません…
もともと男女の仲というより生活全般のパートナーといった感じだったからです。
関係が疑われたフリージャーナリストの矢崎さんとは「狭間組」なるユニットを組んで共同で著作活動をしていました。
千夏さんは離婚後の手記で、
(矢崎氏と)ヤッタかヤラヌかなどという問いは馬鹿馬鹿しい
と述べています。
これもまた、男女を超えた仲だということなのでしょう。
ヤッタ証拠なら恥知らずに写真を撮ったりもできようが、ヤラヌ証拠となると打つ手がない
とも語っています。
結婚もそうでしたが、離婚の理由もはっきりしない…
なんとなく一緒になって、なんとなく別れたというのが当たっているのでしょう。
千夏さんは離婚から2年後、革新自由連合から参院選に出馬し当選…
1期だけ議員 務め、以降は作家活動に専念しています。
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