1970年代

倍賞千恵子…小宮守(小宮健吾)とは格差婚が離婚の原因?!




 

1976年3月8日、長野県・軽井沢の聖パウロ教会に集まったのはわずか8人だけでした。
その8人とは「倍賞千恵子」さん(当時34歳)と、婚約者の小宮守さん(当時27歳、後に小宮健吾に改名)、それぞれの両親、倍賞さんのマネジャーと付き人です。

他の親族やマスコミには一切知らせない、倍賞さんと小宮さんの極秘結婚式が行われていました。
神父の前で新郎新婦がプラチナの指輪を交換し、式は1時間足らずで終わったのです。

倍賞千恵子

名前:倍賞千恵子(ばいしょうちえこ)
生年月日:1941年6月29日(78歳)
職業:女優、歌手、声優
出生地:東京都豊島区西巣鴨
学歴:北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)




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1976年1月27日、倍賞さんはすでに単独記者会見を開き、新進俳優の小宮守(現:小宮健吾)さんとの婚約を発表していました。
けれども、その後はまったく音沙汰がなくなり、二人は「破局したのでは?」とささやかれていたのです。

しかし実際には、交際は順調に続いており、マスコミに騒がれて関係が壊れてしまうのを恐れていたと言われています。
松竹歌劇団を経て映画界入りした倍賞さんは「恋多き女」と言われていたからです。

最初の相手は彼女をスターダムに押し上げた映画「下町の太陽」で共演した早川保さんでした。
しかし、愛人に子どもを産ませた事実が発覚し、破局してしまいます。

その後、10歳上の妻子あるテレビプロデューサーと不倫関係になりましたが、相手の夫人が離婚を断固拒否…
8年間のドロ沼の末に別れることとなったのです。

そんな時に出会ったのが小宮さんでした。
舞台「屋根の上のバイオリン弾き」(1975年・1976年~1978年・1980年)で共演し、話しているうちになんとなく波長が合い、付き合うようになったのです。

ただ、アンバランスな二人がうまくやっていけるのか、周囲は最初から危惧していました。
小宮さんの年収は数百万円、一方の倍賞さんは数千万円です。

初めは彼女に頼るけど、まあ、借りるようなもので男なら、やがては自分の力で養う覚悟はできている。

と語った小宮さんでしたが、4年後には早くも破局が訪れたのです。

1980年1月20日、スポーツ紙が「小宮が荷物をまとめて家を出た」と報じます。
その翌日、映画の記者会見で倍賞さんは「記事はまったくの誤解」と全面否定しました。

実は、二人とも離婚の決心がつき、すぐにも離婚するはずだったのですが、この会見で延びてしまったのです。
意地っぱりな性格の倍賞さんは自分の言ったことを守ろうとしました。
しかし、一度壊れた夫婦関係は修復できなかったのです。

それから9カ月がたった10月30日に離婚届が提出され、同日午後には記者会見が開かれました。
婚約会見は倍賞さん一人でしたが、今回は二人が揃いました。

記者会見場に小宮さんは倍賞さんの肩を抱いて現われ、その理由をたずねると、小宮さんは、

人に揉みくちゃにされて危ないので、僕がエスコートしたまで。離婚届は(1980年)10月30日に、僕一人で区役所に提出してきました。

とコメント。

倍賞さんは、

本当は私も一緒に行く予定でしたけど。前夜、記者の方が遅くまで取材に見えていたので、朝起きられなかったものです…電話で彼から届けを出したと知らされて、「これからは友達だね」と言われたときは、「もう夫婦じゃないんだ」という感慨が胸に迫りました。

と笑顔で答えました。

ふたりが離婚を考えたのは、小宮さんの言葉によると1980年の8月頃だったと言います。

俳優同士の結婚の難しさを感じて、「一度、外から冷静に見つめた方がいい」と判断して、僕がマンションを出て実家に戻った。

と原因について語った小宮さん。

倍賞さんもこの点に触れ、

俳優と主婦のバランスがとれなかったことが原因。

という何とも曖昧な離婚原因を語りました。

記者からは倍賞さんに以前からあった高名な監督との愛の噂について聞かれると、

知りません。

と素っ気ない返事があり、一方の小宮さんの方にも愛人の噂がありましたが、

そんな事実などありません。

と否定したのです。

さらに、「スレ違いの生活が離婚につながった原因なのか?」という質問に、小宮さんは、

確かに普通の夫婦と比べれば、スレ違いがあったが、それが離婚の全てではなかった。

と答えました。

こうして二人は核心には触れず、まるで政治家の答弁のような離婚記者会見を終えたのです。
両者とも報道陣に笑顔をふりまきながら快活に話しましたが、結局、離婚の原因はわからずじまいでした。

小宮さんに好きな女性ができた…
倍賞さんが高倉健さんとつきあっている…
などと言われましたが、強いて挙げるなら、やはり収入や役者としての格の違いを埋められなかったことが原因だったようです。

1998年2月、倍賞さんは8歳下の作曲家・小六禮次郎(ころくれいじろう)さんと再婚…
付き合い出したのは7年前からでした。

小六さんにも家族があったのですが、離婚が成立しゴールイン。
やっと一生を添い遂げる伴侶を見つけた倍賞さんでした。




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