幼い頃から天才サッカー少年と注目されていた元プロサッカー選手の「磯貝洋光」さん。
現役時代はガンバ大阪の主力選手と活躍し、その技術力や独創性などから未だに天才プレイヤーの一人として名前が挙がることがあります。
さて、そんな磯貝さんは現在、大工の見習い仕事をしながら生計を立てていると言いますが、そこにはどのような心境の変化があったのでしょうか。
名前:礒貝洋光(いそがいひろみ)
生年月日:1969年4月19日(50歳)
職業:元サッカー選手
出身:熊本県下益城郡小川町(現宇城市)
学歴:東海大学
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今ではサッカー解説者として知られている永島昭浩さんや本並健治さんらと共に、Jリーグ初期のガンバ大阪を盛り上げた立役者・磯貝洋光さん。
そんな磯貝さんは1998年に29歳で現役を引退しています。
理由は「給料に見合うプレーができなくなってしまった」と自身の限界を感じからでした。
引退した後は、意外にもプロゴルファーに転向しています。
理由はゴルフの方が自分だけでやれて、他人のプレーを見なければいけないサッカーよりも楽しいからとのことでした。
また、「打ちっ放しにいって、俺みたいなカラダの人とか、(髪が)薄めの人が楽しそうに女の子と打ちっ放しをしてた。俺もあんなお姉ちゃんにモテるんじゃないか。それからやりたいってずっと思ってた」と冗談めいて語っています。
とは言え、元は天才の名を欲しいままにした超一流のサッカー選手の磯貝さん。
持ち前の運動神経で難関のプロテストにも一発合格しました。
しかし、ゴルフツアーではツアー外競技が中心となったり、PGAプロテストに合格できなかったり、QT受験に挑むも本戦への突破が叶わず、なかなか活躍できなかったのです。
プロサッカー選手時代には年俸8000万円をもらっていた磯貝さんでしたが、獲得賞金はほとんどなかったと言います。
ゴルフから離れた磯貝さんはその後、車中泊や友人の一軒家を間借りするような生活を続けていました。
仕事は声がかかればサッカースクールで教えたり、スポーツコンサルタント・スポーツ医学のアドバイザーなどの依頼を受けるなどしていました。
現在でも元・日本代表の森山泰行さんが代表を務める埼玉県ふじみ野市を拠点とするジュニアユースクラブ「CLUB GORICA(クラブゴリツァ)」では、アドバイザーとして名前が掲載されています。
また、この他にも「みんなが笑顔で食べてる姿がいい」と肉寿司店で炙り職人をしていたり、高校時代の同級生が棟梁を務める建築現場で、塗装などを行う大工の見習いとして働いていました。
大工の見習いは日給6000円で、お腹空いたら友人を呼び出してご飯をおごってもらったり、家も基本は友人の車や事務所だという磯貝さん。
そのような生活が影響したのか、体重は110キロにまで増えてしまいました。
現在も独身の磯貝さん。
お金に執着したらしんどいでしょ。高い年俸をもらっていた現役時代も生活の質は今と変わらない。夏はスリッパと短パン。好きなことしかやんない。他人の目も気にしないし、生きる価値観とかもあまり興味ない。人生を目一杯楽しく過ごすだけ。
と語る姿は、まさに自由人といった様子だったのです。
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