1980年代

原辰徳…嫁・松本明子との馴れ初めや結婚秘話に感動?!




 

元プロ野球選手で2009年のWBC第2回大会では日本代表監督を務めた「原辰徳」さん。
2019年からは3度目の読売ジャイアンツの監督となりました。

そんな原さんはプライベートで1986年に6歳年上の松本明子さんと結婚しています。
今回はそんな原さんと、嫁の明子さんの馴れ初めや知られざる結婚秘話に関するお話です。

名前:原辰徳(はらたつのり)
生年月日:1958年7月22日(60歳)
職業:元プロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者
出身:神奈川県相模原市(現・相模原市南区)
出生地:福岡県大牟田市
学歴:東海大学




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原辰徳さん(当時27歳)が一生の伴侶として選んだ女性は、現在の嫁である松本明子さん(当時33歳)です。
明子さんの実家は、お菓子や海苔の金属製容器を製造している金方堂松本工業(金方堂松本工業株式会社)で、明子さんは第二代社長・松本一郎氏(当時64歳)の次女で、山脇学園中学校・高等学校から慶應義塾大学文学部に進んだお嬢様でした。

二人の出会いは1980年、原さんが東海大学4年生の時です。
当時、アマチュア野球の世界選手権が日本で開催され、原さんは全日本チームのメンバーとして、品川プリンスホテルで合宿していました。

その時、同じ合宿仲間で親しくなったのが、熊谷組に所属し、熊谷野球部コーチをしていた松本圭司さん(当時28歳)だったのです。
その圭司さんから、「近所に従妹の家があるから、飯でも食いに行かないか?」と連れて行かれたのが、北品川5丁目にあった明子さんの家でした。

その頃から、原さんはアマチュア野球界の強打者として有名だったのですが、野球のことは全く知らない明子さんは「へえ、あなた野球やってる人なの?」という感じだったと言います。
一方の原さんは明るくておしとやかな明子さんに一目惚れし、「これこそ僕のお嫁さんになる人だ!」と直感したのでした。

当時の全日本チームのメンバーでは、原さんが一番若く、汗で汚れたアンダーシャツなどを洗濯しようとしても、先輩が大勢いて洗い揚はいつも満員…
そこで原さんは、汚れものを明子さんの家に持って行って洗ってもらうようになります。

こうして年令差も関係なく、二人の愛は確実に育まれていきました。
しかし、原さんがまだ若い上に、相手が6歳も年上とあって、両親の中でも特に原さんの父親・貢(みつぐ)さん(当時61歳)が大反対をし、結局この恋は実らなかったのです。
原さんはこの時、「この人は僕の世界からなくさなきゃいけない人だ」と悲痛な決意をしたと言います。

傷心の末、明子さんは1983年春に親のすすめもあってお見合い結婚。
しかし、その結婚は上手くはいかず、2年後の1985年1月に離婚しました。

そして離婚して間もない1985年3月、原さんは明子さんと偶然に再会を果たします。
場所は品川のあるホテルでした。

キャンプ中の宮崎から東京に帰って来て、友人と食事をするためにホテルに行った原さんは、お母さんの静江さん(当時56歳)と連れ添ってロビーにいた明子さんの姿を見つけたのです。

懐かしさのあまり声をかけてしまったのですが、アキちゃん(明子さん)はひどく寂しげで、元気がないように見えました。その時は「また連絡するね」と言って別れたんですよ。

原さんは婚約会見でこのように語っています。

その後、連絡取り合った二人は再び交際を始めました。

日が経つにつれて考えたんです。ズルズルとこのままではいけない。僕としては少しの時間でもこの女性と一緒にいたいという気持ちを大切にしようと思い、今年(1986年)の3月の中頃に、自分の気持ちと彼女に打ち明けたんです。

原さんは続けてこうコメントしています。

実は原さんは明子さんと別れた後、父・貢さんのすすめもあってお見合いをしていました。
当時、原さんにとって父親は絶対的な存在で断わり切れずに、何人かと食事をしたのです。
相手は貫さんと付き合いがある会社社長のお嬢さんが多かったそうですが、結局、何度かのお見合いでも結婚には至りませんでした。

こうして再び明子さんとの結婚を決意した原さんは、自分の意志が変わらないことをはっきりと両親に伝えました。
父親の貫さんは「そんなにあの人が好きだったのか」とあらためて原さんの愛情の強さに驚き、黙ってうなずいたと言います。
母親の勝代さん(当時52歳)も涙を見せていました。

明子さんの離婚歴について、「このことが興味本位に取り上げられても関係ない。ただ好きな人と一緒にいたいという気持ちの方が強かった」と原さんは語っています。
この点について明子さんは、「ただ、迷惑がかからなければいいと、それだけでした」とコメントしました。

1986年5月9日に原さんは明子さんを伴って、羽田東急ホテルで行なわれた婚約記者会見に臨みました。
「お互いに、どんな点に惹かれましたか?」と聞かれて、原さんは「優しさと、思いやりのあるところに」、明子さん「いちいち口には出さないが行動力のある点。思っていたよりは、ずっと大人で頼もしく感じました」と語ったのです。

また、「子供は何人くらい欲しい?」という質問に対して、原さんは「僕はたくさん欲しいし、できるだけ早いとこ作りたいですよ」とコメント。
最後に「スーパースターの妻としての心構えは?」と聞かれた明子さんは「安心して試合に臨めるように、家のことはいっさい心配しないでいいようにしたい」と語りました。

また当時、記者会見の代表質問を担当した日本テレビの徳光和夫アナウンサーは、

会見の控え室でテレビのダイアナ妃を見ていた明子さんが「きれいね」と言うと、原が「いやあ、アキちゃんの方がよっぽどきれいだよ」と若大将ふうに言ってましたね(笑)

といったエピソードも飛び出したのです。

二人は出会いから2000日という長い月日の中で、紆余曲折がありながら結ばれることになりました。
1986年11月に挙式・披露宴を行い、1988年には息子の嘉宏さんが生まれています。




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