第65代横綱で日本相撲協会では理事や審判部長などを歴任したタレントの「貴乃花光司」さん。
そんな貴乃花さんはかつて角膜潰瘍(かくまくかいよう)という病気を患ったことがあるのです。
この病気になった時、兄の花田虎上さんや母の藤田紀子さんも心配をしていました。
名前:貴乃花光司(たかのはなこうじ)
本名:花田光司(はなだこうじ)
生年月日:1972年8月12日(47歳)
職業:元大相撲力士、タレント、絵本作家
出身:東京都杉並区阿佐ヶ谷
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1991年10月9日開幕した大相撲ロンドン公演。
当時、ブームの焦点となっていたのは、貴乃花光司(当時は貴花田)さん(当時19歳)と、花田虎上(三代目・若乃花)さん(当時20歳)でした。
そんな中、貴乃花さんが角膜潰瘍(かくまくかいよう)で東京・千代田区の日大駿河病院へ緊急入院したのは、10月3日午後2時過ぎ。
母の憲子さん(当時44歳)が運転する車で病院へ着いた貴乃花さんは激しい痛みがある左目に眼帯をし、メタルフレームのサングラスをかけて診察室へ入りました。
初診(9月24日)の時は単なる結膜炎で、治療を受ければロンドン公演に参加できる状態だったのですが、10月2日になって夜も眠れないほど痛みがひどくなったのです。
検査の結果、左目の角膜の薄い上皮がはがれて、神経が露出したための激痛でした。
主治医の松井瑞夫院長(眼科部長兼任)は、
病名は角膜潰瘍。結膜炎から移行したものではないが、恐らく左目を手でこすったか砂が入ったか、いずれにしろ外傷が原因になったと思われます。コンタクトレンズを使用する人がよく角膜を傷つけるのと同じ症状で、突然痛みがひどくなり、目ヤニ、涙、眩(まぶ)しさなどを伴います。(10月)2日から鎮痛剤と抗生物質を投与していますが、上皮がはがれたところに菌が入ると視力が落ちたりする恐れもあるので、それを防ぐために入院をすすめました。
と病状を説明したのです。
治療で角膜の上皮が綺麗に再生し、炎症がなくなれば退院できるのですが、診察の結果、1週間から10日は入院が必要とされました。
さらに退院後、体力トレーニングをすることには問題はないものの、本格的な稽古を始めるのは、少なくとも退院2週間後になることも明らかになったのです。
貴乃花さんは入院を決意。
院長の指示に従い、ロンドン行きを断念しました。
母・憲子さんも、
我慢強い子なのに、余程ど痛かったのか、自分の部屋の壁に拳(こぶし)を打ちつけていたようで、 手の甲に跡が残ってました。秋場所後に色々なパーティーや琴富士関の結婚被露宴などがあって、カメラのフラッシュを浴びたのもよくなかったんでしょうね。瞬(まばた)きしても痛いと言うんです。これ以上の無理はさせられないので入院させることにしました。
とコメント。
入院した貴乃花さんは瞬きしないように左目の瞼(まぶた)を絆創膏(ばんそうこう)で止め、眼帯をしていました。
さらに、病室の窓にカーテンを引いて、室内を暗くし、治療に専念するために面会は謝絶。
医師からは付け人をそばに置いて、身の回りの世話をしてもらう方がいいと言われましたが、貴乃花さんは「かえって気を使って疲れるから、一人で大丈夫」と断わったと言います。
また食事に関しては、病院でチャンコというわけにはいかないものの、病院のはからいで栄養もカロリーも十分な食事が用意されることが決まりました。
母・憲子さんは10月4日も藤島親方と一緒に病院を訪れ、できることなら貴乃花さんについていてやりたかったが、部屋の後援者とロンドンへ行く約束があり、後ろ髪引かれる思いで旅立ったのです。
大相撲の一行が2班に分かれて成田から出発したのは10月5日。
若花田こと花田虎上さんは連日病院へ電話をかけて、
ゆっくり休んで、早く良くなってくれよ。ロンドンでは俺が精一杯頑張るから。
と弟の貴乃花さんを励ましたと言います。
また、
16日に帰国するまでにはもちろん退院して欲しいですね。貴関の分と合わせてお土産を100コくらい買い込んできます。二人で行きたかったけど、こればかりはしょうがないですね。ロンドンのホテルでも兄弟一緒の部屋が取ってあったのに…俺は朝、弱い方だから、あいつがいないと起きられるかな?
ともコメントしていました。
当時の貴乃花さんと花田虎上さんはこのような関係でもあったのです。
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