1960年に「潮来笠」でデビューし、吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」や「霧氷」などで大ヒットを記録した歌手の「橋幸夫」さん。
そんな橋さんは過去に、占いに基づいて15億円の豪邸を新築したことがありました。
名前:橋幸夫(はしゆきお)
本名:橋幸男
生年月日:1943年5月3日(76歳)
職業:歌手、俳優、作曲家、プロデューサー
レーベル:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
出身:東京都荒川区
学歴:城西大学附属城西高等学校
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歌手の橋幸夫さん(当時42歳)の新築は完成したのは1985年のことでした。
新居への引っ越しは翌日と決まっていたのですが、橋さんは待ちきれず、前日に手荷物だけ持って一家4人で移り住んだのです。
橋さん曰く、
まあ、以前から自分のスタジオを持つのが夢だったのと、おふくろを呼んで一緒に暮らしたかったんです。やっと親孝行ができましたよ。
とのこと。
新築された橋さんの自宅は地上3階、地下1階の自宅兼音楽スタジオが備えられていました。
母親のさくさん(当時83歳)は、橋さんが1970年前に凡子夫人(当時38歳)と結婚してから、東京都杉並区善福寺の家でずっと暮らしてきました。
老いて一人暮らしになったさくさんを引き取るためにも、家を新しくしたいという気持ちが強かったのです。
土地は元々、橋さんが住んでいた原宿で建物の延べ坪が300坪(約990平方メートル)。
地下1階が豪華な貸しスタジオがありました。
さらに、1階がレストラン「シャングリラ」と車庫。
2階と3階が住居スペースで総費用がなんと15億円の豪邸だったのです。
住まい、歌と喫茶、3つそろって嬉しいです。僕の夢の集大成ですね。この土地は最初買った時は別に意識してたわけじゃないんですが、うまくいってる時っていうのはどうしてか全てがうまくいい方向に流れるようにできてるんですよね。方位学的にいってもすごくいい土地柄だし、音楽制作にもとても適した環境なんです。
と語った橋さん。
橋さんと言えば、凡子夫人ともども運勢学家としても知られています。
スタジオとレストランに命名した「シャングリラ」という名は、近所に住む占い師・王麗華さんが「ここから道が開けていく登竜門になるように」と考えてくれたものでした。
そのため、1階から地下へ降りる階段の踊り場には竜が水晶を抱いた絵があり、縁起のいい竜を描かせました。
知り合いの若いイラストレーターに描いてもらったんだけど、竜ってのは強くたくましい運がいいとされてるものですからね。どうしても描きたかった。世界中探してもスタジオに竜がいるなんて他にないだろうね。昨日、自分で目を入れたんですよ。
と語った橋さん。
住まいは10畳の日本間、寝室、バス・トイレなど7LDK。
ダイニングキッチンに黒と白が目立つのは、凡子夫人のラッキーカラーが白・黒だからでした。
最新の録音機材を入れたスタジオは24時間体制のレンタル。
昨日から、もう自分のLPのダビングで試運転にかかってるんですよ。
と、1985年11月5日に発売された橋さんの芸能生活25周年記念アルバム「人生祝いうた」(リバスター)を収録していたのです。
ちなみにこのアルバムは、結婚、出産、誕生、新築、七五三など一生のおめでたい歌を10曲集めたLP。
まさに橋さんにとって、おめでたい理想の豪邸が手に入った瞬間だったのです。
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