オイルショックが起きた1973年…
この1973年11月21日にNHKから紅白歌合戦の出場メンバーが発表されました。
これは当時、この時期の恒例行事だったのですが、発表は例年とは違っていたのです。
それは歌謡界の女王・美空ひばりさん(当時36歳)が落選していたからです。
紅白出場17回で、トリを務めること13回…
まさに紅白を支えていた大物歌手である美空ひばりさんが外されていたのです。
名前:美空ひばり(みそらひばり)
出生名:加藤和枝(かとうかずえ)
生年月日:1937年5月29日~1989年6月24日(享年52歳)
職業:歌手、女優
レーベル:日本コロムビア
事務所:ひばりプロダクション
出身:神奈川県横浜市磯子区滝頭
学歴:精華学園高等部
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発表があった時、美空ひばりさんは公演先の大阪・梅田コマ劇場にいました。
一言、生のコメントをもらおうと報道陣が押しかけましたが、楽屋の鉄の扉は固く閉ざされたままで、いくら経っても美空ひばりさんは元より、一卵性母娘とまで言われた母・加藤喜美枝さんも姿を現しませんでした。
そもそも1973年は美空ひばりさんにとって受難の年でした。
1月に鹿児島県の川内市、鹿屋市、名瀬市が「実弟のかとう哲也を出演させない確約を得ない限り、施設の使用を許可しない」と宣言…
これに高知市、川崎市、いわき市なども続き、ひばりショーを締め出す動きが全国に広がっていたのです。
原因は1972年10月、弟のかとう哲也氏が暴行容疑で逮捕されたことでした。
かとう哲也氏の海外旅行中に愛人がマンションに2人の男を連れ込み、これを知ったかとう哲也氏は男たちを呼び出し脅したというものです。
この件は罰金刑で済みましたが、かとう哲也氏は暴力団と深い関係があると書き立てられ、反社会的人物が出演する興行はまかりならないという動きになっていったのです。
しかも、かとう哲也氏の逮捕はこの一件だけでは終わりではありませんでした。
1973年3月5日には麻雀賭博開帳容疑、同月27日脅迫容疑、さらに9月3日には暴力団からの拳銃購入容疑で逮捕され、風当たりが強まっていったのです。
なにしろ、かとう哲也氏は三代目山口組(組長は田岡一雄氏)系益田組(組長は益田佳於氏)の舎弟頭(しゃていがしら)という立場…
このような事件や問題が起こるのも、当然と言えば当然だったのです。
ただ、当時は山口組壊滅を狙う警察上層部がひばりファミリーを叩くのが効果的と判断し、集中的にヤリ玉に挙げたのが、美空ひばりさんの実弟であるかとう哲也氏だったのです。
これにマスコミも同調し、ひばりファンを除き、世間のバッシングの声が大きくなっていきました。
出演させるなら、受信料を払わないといった声が相次ぐ中、NHKは美空ひばりさん外しを決めたわけですが…
ひばりファミリーにすれば、何を今さらの話でもありました。
そもそも、美空ひばりさんが田岡一雄山口組3代目組長と出会ったのは10歳の時…
以来、かとう哲也氏だけではなく、ひばりファミリーと田岡組長が固い絆で結ばれてきたのは公然の事実だったからです。
それを承知の上で出演させ、NHKは紅白をお化け番組に育て上げました。
当然、落選の報道が流れた直後から、NHKには熱烈なファンから抗議が殺到…
困り果てたNHKは姑息な手段に出ます。
それは美空ひばりさん側から紅白を辞退したという形にしたのです。
つまり、今回は真ん中あたりで歌って紅白を盛り上げて頂きたいと申し入れたが、トリが指定席の美空ひばりさんがその案を蹴ったという筋書きです。
自ら降りたとなれば、美空ひばりさんのプライドもそれほど傷つかないという妙案と言えば妙案でした。
ただ、美空ひばりさんを出場させないのは、当時の小野吉郎NHK会長の至上命令…
いくら取り繕っても、NHK側がひばりを外したことには変わりありませんでした。
そうして第30回の1979年に特別出演(正式な出場回数には含まれない)したのを除けば、美空ひばりさんは1989年に52歳で亡くなるまで紅白の舞台を踏むことはなかったのです。
それが美空ひばりさんなりの意地だったとも言えるでしょう。
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