壮絶な闘病を続けていた「川口浩」さんの命がついに力尽きたのは、1987年11月17日午後6時39分…
心電図が真っすぐの線になったときでした。
享年51歳…
「川口浩探検隊」(テレビ朝日系)で絶大な人気を誇った隊長のあまりにも早すぎる死でした。
名前:川口浩(かわぐちひろし)
生年月日:1936年8月22日~1987年11月17日(享年51歳)
職業:俳優、司会者、探検家、タレント
出身:東京府
学歴:慶應義塾高等学校(中退)
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1987年の7月末ごろから川口さんは「食べ物が喉を通りにくい」と違和感を訴えるようになっていました。
検査を受けると食道がんと診断され9月7日、東京女子医大に入院したのです。
2年前にも川口さんは胃がんの手術を受けていました。
胃の5分の3を切除し生還しています。
その後は定期検診を受けるようになりましたが、4月の検診時には何も発見されなかったのです。
その5月後、食道がんを見つけた担当医が夫人の野添ひとみさんに「普通の人なら1年半ぐらいかかるところを1カ月ぐらいでがんが育ってしまう異常体質」と説明しました。
母で女優の三益愛子さんは膵臓がんで1982年に亡くなっています。
父で作家の川口松太郎さんもまた1985年に亡くなるまでに食道がんの手術を2度受けていました。
典型的ながん家系だったのです。
9月末になると、川口さんは「喉が痛い」と言い出します。
食堂がんに加え、下咽頭がんも併発していました。
担当医は声帯を取る手術を勧めましたが、川口さんは「死んでも声が出なくなるのはイヤ」と拒否…
手術の代わりにコバルト照射を行うことになったのです。
下咽頭がんは徐々に小さくなりましたが、食道がんの進行はそれにも増して早いものでした。
11月1日に食道から痰(たん)を出すためのバイパス手術が行われ、メスで患部を開いてみると、予想以上に進行していたため、同時に食道、胃、脾臓を摘出しました。
14日、気管支を切開し痰を出すための管が肩と首の間から差し込まれると、しゃべることができなくなります。
ひとみ夫人が白いボードを買ってきて、そこに大きな文字を書いてやりとりをしました。
「耳は聞こえる」というので川口さんは筆談、ひとみ夫人は声に出して伝えました。
それからわずか3日後に亡くなってしまうのですが、周囲はあの隊長が簡単に命を落とすとは想像できませんでした。
「必ず乗り切ると信じていた」と川口浩探検隊の関係者も語っていたのです。
同番組がスタートしたのは1977年…
川口さん率いる探検隊が秘境で遭遇するさまざまなアクシデントに向かっていくシリーズは足かけ9年、45回にも及びました。
その多くがヤラセで、視聴者はそれを知りながら楽しむというバラエティーだったのです。
「川口さんは次第に本物を求めるようになり、危険を顧みず自ら何でもチャレンジするようになるんです。あんな強靭な精神力を持った人が亡くなるとは…」と関係者もコメント。
17日の昼前、川口さんはボードに「30%駄目だ。気力で頑張る」、さらに「みんな元気でみんな仲良く」と書きました。
傍らにいたひとみ夫人と長女の目に涙があふれます。
すると川口さんは「泣くな」と書いて、「サンキュー」と続けました。
それが最期の言葉でした。
夕方、容体が急変…
ひとみ夫人が「浩、浩…」と叫びながら川口の頬を叩いたが反応はなく、そのまま帰らぬ人となったのです。
1995年5月4日には妻のひとみ夫人が甲状腺ガンのため死去…
享年58歳でした。
川口さんが病魔に侵される数年前には脾のう胞を患うなど病気がちだったと言います。
その後、2005年1月26日にはユニバーサルミュージックから「川口浩探検隊」シリーズ中6本が初めてDVD化され、発売されま、2007年には日本文芸社より未確認生物編の5話が山口正人氏によりコミック化されました。
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