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江戸落語若手四天王や天才落語家とも称された七代目(自称五代目)立川談志さん。
その談志さんの娘(長女)で、女優やタレントとして活躍しているのが「松岡ゆみこ」さんです。
現在、松岡ゆみこさんは女優やタレント以外に、銀座でクラブ「Tee Off」を経営するなどしているのですが、それまでに父親の談志さんとの様々なエピソードがありました。
名前:松岡ゆみこ(まつおかゆみこ)
本名:松岡弓子
生年月日:1963年9月17日(55歳)
職業:女優、タレント
所属:ワタナベエンターテインメント
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松岡ゆみこ(談志の娘)…生い立ちから思春期まで
立川談志さんと妻の則子さんの間には、娘の松岡ゆみこさんが生まれる前に子供ができていましたが、その子供が死産だったこともあり、ようやく生まれたゆみこさんを談志さんは溺愛しました。
例えば、大都会・新宿で育った娘に、談志さんは自転車を買い与えませんでした。
理由は交通事故に遭うのを心配したからです。
しかし一方で、ゆみこさんがどこの小学校に通っているのかも知らず、成績にも無関心だったと言います。
さらにはゆみこさんの年齢もうろ覚えだったとか。
また、破天荒で強烈なキャラクターを持つ父・談志さん影響で、娘のゆみこさんは学校で談志さんの娘で「ダンムス」と呼ばれていました。
しかし、その溺愛や父の影響が仇(あだ)となったのか、ゆみこさんは15~16歳の頃になると学校に行かなくなり、ディスコばかり行くようになります。
ちなみに、当時は15歳でもディスコに行くことができたそうです。
談志さんは自分の言うことを全く聞かなくなったゆみこさんをディスコから連れ出し、新宿警察署の少年課に連れて行って、「不良ですから逮捕してください」とお願いしたこともありました。
警察もさすがに驚きはしましたが、取調室のような場所に連れて行かれて、ゆみこさんは警察から説教を受けました。
とは言え、そんなことでは反省しないゆみこさん。
その後は高校を一年間で中退し、ディスコで知り合った当時暴走族だった男性と付き合い出したのです。
けれども、その男性からある日を境に家に電話にかけても取り次いでもらえないようになります。
ゆみこさんは男性の友人に頼んで代わりに電話してもらい、本人が出ると代わって「何で電話出てくれないの?」と尋ねました。
すると、「お前の親父さんがコワモテの人と一緒に家に来て脅かして帰った」と言うのです。
談志さんはどこで聞き付けたのか、娘の彼氏の自宅を探し当て、娘と別れるように脅していたのでした。
そのことに怒ったゆみこさんと談志さんと殴り合いの大喧嘩になります。
常々「子どもは叩くもんじゃない」と話していたという談志さん。
談志さんがゆみこさんをボコボコにしながら、ゆみこさんは「殺せ-!」って叫び、談志さんが「子どもを殺す親がどこにいるー!」と叫んで殴るというまさに修羅場でした。
この時、談志さんは「俺の子だもんなぁ。言っても聞くわけないか」と悟り、これ以降は何も言って来なくなったと言います。
ちなみに談志さんは娘がグレたことを女優の加賀まりこさんに相談していたそうです。
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松岡ゆみこ(談志の娘)…タレントデビューからクラブママ
さて、そんな松岡ゆみこさんも大人になり、1983年頃には「松岡まこと」の芸名でタレントデビューを果たします。
“女談志”や“女たけし”とも称された天性の話術もウケ、「エド山口のまんてんワイド」(TBSラジオ)などで活躍していました。
しかし、デビューから約1年ほど経ったある日、当時不倫関係だった妻子ある実業家男性と駆け落ちしてしまいます。
タレント業をすっぽかして不倫相手とハワイなどに行くなどしたため、一時的に芸能界引退のような状態になってしまいました。
この引退騒動をゆみこさんは新聞で知り、談志さんに相談すると「俺が全部闘ってやる」と返事があり、その時に父を初めてカッコイイと思ったと言います。
その後、談志さんは会見を開き、「芸能界が嘘だと気付いたんだ」と娘を全面的にかばいました。
そうしてゆみこさんには、「お前、本書けよ、テレビ出てこいよ。恥ずかしければ眼鏡をかければいい」と、復帰の打診もしていたのです。
ただ、駆け落ちまでした年上で実業家の男性と結婚したゆみこさんでしたが、結婚して3年後の33歳の時に離婚してしまいます。
また、27歳の時にゆみこさんは子宮頸癌であることが発覚し、子宮の全摘出手術を受けていたこともあって、二人の間には子供はいませんでした。
ちなみに、この手術に際しても、父・談志さんは「いずれ生まれるかどうかわからない孫よりもパパ、弓子に生きてもらいたい」と語ったそうです。
その後1999年、30歳の時に銀座でクラブ「Tee Off(ティーオフ)」(東京都中央区銀座8-6-18 銀座カレラ弐番館ビル6F)の経営に乗り出したゆみこさん。
このお店を出した際には、父・談志さんが足を運び、全てのお客さんに頭を下げる姿にゆみこさんは驚いたと言います。
さらに「お客さんのために小噺(こばなし)でもしようか」とまで言い、そこまで腰の低い談志さんの姿はそこでしか見られなかったそうです。
また、お店には、
馬鹿な娘ですが頑張っているので助けてください
と直筆のメッセージを残していました。
そんな父・談志さんも2011年11月に亡くなり、談志さんが亡くなってから、「父親から愛されていたことを確信した」と語るゆみこさん。
40年以上の父娘の歴史を振り返ったゆみこさんは、「本当に困った時に助けてくれるのが良い親だと思う」と語りました。
また、最近のゆみこさんの活動ですが、舞台「談志のおもちゃ箱」やトークライブ、TBS「Nスタ」の水曜日レギュラーコメンテーター、バラエティー番組などなど、多方面に渡って活躍しています。
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