NHK紅白歌合戦に何度も出場経験を持つ若原一郎さん。
その若林さんの幼女(妻の前夫との子)が、女優やタレントとして活躍している「若原瞳」さんです。
そんな瞳さんが元夫であるロバート・ビンセントさんと離婚したのは1986年のことでした。
果たして、この離婚の背景には何があったのでしょうか。
名前:若原瞳(わかはらひとみ)
生年月日:1953年6月7日(66歳)
職業:女優、タレント
出身:静岡県三島市
学歴:共立女子短期大学家政科
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若原瞳さん(当時31歳)が元夫であるロバート・ビンセントさん(当時25歳)と結婚したのは、1984年の10月15日のことでした。
この年の1月に瞳さんの実家に、父親(養父)の若原一郎さんの友人がビンセントさんを連れて来たことから知り合い、わずか9ヵ月のスピード結婚となったのです。
しかし、二人のこの結婚に父・若原さんは最初から反対でした。
ビンセントさんが瞳さんよりも6才も年下であることに加えて、やはり日本人とは感覚が違うという点が理由だったのです。
そんな猛反対をする両親を何とか説得して、ようやく結婚にこぎつけた瞳さんに対して、挙式後、記者団に囲まれた若原さんは、二人の赤ちゃんのことを聞かれ、
妊娠はすぐにではなく、来年の6~7月くらいがいいでしょう。とにかく当初は様子を見て、やっていく自信がついてからでも遅くはないでしょうから。
と、ふくみのあるコメントをしていました。
普通であれば、「ぜひとも早く孫の顔を見たいですね」と答えるところを、やはり若原さんは父親として、漠然とした不安を感じていたことが伺えます。
1986年の離婚会見でも、父親の若原さんは、
当初から直感的に「大丈夫かな?」という気がしていた。恋愛中の時と現実の結婚生活は違う。毎日、「愛してる」とか「食事に行こう」とか言ってられないんです。その辺の甘さがあったと思う。
と、語りました。
さらに、
一人前の女だから、離婚という事態になったことを責めていいと思うが、ただ、そういうふうに育てたという点で当然、親の責任でもあります。
と、コメントしたのです。
離婚を前提にした話し合いは、1986年2月に入ってから弁護士を立てて始められました。
瞳さんは、破局の原因について、
暮らして行くうちに徐々にお互いの考え方が違うということが分かってきました。習慣の違いなどは、自分で努力して乗り越えて行こうと考えていたんですが、その辺の歪(ひずみ)も次第に出て来て…性格の不一致ということです。
と語り、一部で噂されていたビンセントさんの女性関係や定職を持たずに遊び回っているという点については、きっぱりと否定しました。
彼は今、両親の経営する店(横須賀の米軍基地にあるマーケット)で働いています。離婚は、今年になって、私の方から切り出しました。彼も、その方向で考えていると思います。(女性関係とか)そういうことはありません。
と続けました。
瞳さんにとって、この結婚は親の反対を押し切ってのものだっただけに、生活が破局に向かって進み出した時でも、すぐには両親に相談できない状況でもありました。
その点に関して若原さんは、
この娘は意地っぱりだから、今年(1986年)の1月に会った時でも、中々そういう状態になっていることを言い出さない。でも、親だから分かるんです。もうボ口ボ口の状態なんだなって。で、僕は「君の一番いいようにしなさい。子の幸福を願わない親はいないよ」ってアドバイスしたんです。
この言葉で瞳さんも踏ん切りがつきました。
結婚の時、両親と大喧嘩してまで一緒になったんだから、自分が幸福にならなければと一生懸命に頑張りました。それがこういう結果になって本当に両親に申し訳ないと思います。
と、瞳さんは会見の最後に答えたのです。
こうして瞳さんとビンセントさんの結婚生活は1年5ヶ月でピリオドが打たれました。
その後、父・若原さんがイメージキャラクターを務めていたアデランス(株式会社アデランス)に勤める一般男性と瞳さんは再婚しましたが、この男性とも後に離婚しています。
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