スキンヘッドとサングラスがトレードマークのミュージシャン「サンプラザ中野くん」。
ロックバンド・爆風スランプのボーカルとしても知られているサンプラザ中野くんが、極秘入籍したのが1989年3月10日のことでした。
実はその時、すでにサンプラザ中野くんには2歳7か月となる子供(長女)、よい子ちゃんがいたのです。
名前:サンプラザ中野くん(サンプラザ なかのくん)
本名:中野 裕貴(なかの ひろたか)
生年月日:1960年8月15日(58歳)
職業:ミュージシャン、作家
所属:アミューズ
出身:山梨県甲府市
学歴:早稲田大学政治経済学部政治学科(除籍)
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1989年3月15日、この日は東京の銀座東急ホテルでは、爆風スランプが主演し、音楽も担当するホラーコメディー映画「バトルヒーター」(松竹富士)の製作発表の記者会見が行なわれていました。
サンプラザ中野くん(当時28歳)の極秘入籍発表は、この会見の後に本人の口から明らかにされたのです。
会見でサンプラザ中野くんは、嫁となった佐々木智子さん(28歳)と3月10日に入籍したことを明らかにしました。
サンプラザ中野くんによれば、智子さんとの出会いは、この6年前の1983年頃。
友人の紹介で知り合い、ほどなく半同棲生活を送るようになったと言います。
1983年頃と言えば、爆風スランプはまだデビューしておらず、サンプラザ中野くんは早稲田大学の学生でした。
サンプラザ中野くんが所属する事務所の社長は会見では、「彼は半同棲を始めた時点で、キチンとしたかたちの結婚を決意していたと思いますよ」と証言しています。
一方のサンプラザ中野くんは、「当時は学生で、給料も安く、 売れてもいない。もっとメジャーになって、 皆から祝福してもらえる状況で、彼女とのケジメをつけたいと考えていた」とコメントしました。
サンプラザ中野くんも「RUNNER」が大ヒットし、爆風スランプも紅白やべストテン番組に出演できるようになって、ケジメをつける時期が来たと判断したです。
嫁となる智子さんについて、サンプラザ中野くんは「残念ながら普通の人ですから」ということで写真も公開されず、「芯の強い、優しい女性。目が大きくて、けっこう美人ですよ」と語りました。
こうしてサンプラザ中野くんは3月10日に、二人で新宿区役所に行って入籍を済ませたのですが、なんと智子さんとの間には、すでに2歳7カ月になる長女の「よい子ちゃん」がいたのです。
ちなみに、「よい子ちゃん」の命名は爆風スランプのデビューアルバムのタイトルにちなんだとのこと。
「実は3年半前に、彼女から子供ができたと言われました。まだ学生だったし(サンプラザ中野くんは早大に8年在学)、給料も2万円と安かったので悩んだのですが、僕たちの愛の結晶なので産んでくださいとお願いしました」とサンプラザ中野くん。
サンプラザ中野くんは、産まれた赤ちゃんをすぐに認知しています。
しかし、このことをサンプラザ中野くんは、ファンはもとより彼の周辺にまで隠し通しました。
社長もサンプラザ中野くんから、「実は僕には子どもがいます」と打ち明けられたのは、会見から2年前のことで、約1年間は隠し通していたのです。
そのため記者会見の席上でも、「よい子ちゃんには、まだー回も会ったことはありませんよ」と各メンバーもロをそろえてコメントしました。
当時、智子さんは赤ちゃんができたためにOLを辞め、よい子ちゃんと都内で生活し、サンプラザ中野くんは近くのマンションに住んで、周囲やファンの目を気にしながら通い夫を務めるという状態が続いたと言います。
そんなサンプラザ中野くんを周囲は、なぜ気付かなかったのか?
あの特徴のあるツルツル頭にサングラスとくれば、 目につかないのが不思議な気もしますが、その点に関しては所属事務所社長がこうコメントしました。
「中野は大変なド近眼でね。普段は黒ブチの普通の眼鏡をかけて、帽子をかぶっているんです。プライベートな時なら、まずわからないでしょう。だから女房、子どもの所に行くのでも、 あまり気にしないで堂々と行ったんじゃないですか?まだそれほど売れてもいない頃だし、取材の対象にもならなかったんでしょう」
さらに続いて、社長は二人の関係をこう分析しています。
「中野のところは、カカア天下だからね。最近、爆風スランプは売れてきたと言われているけど、それには奥さんの内助の功がものすごく大きいんですよ。非常に不安定な状況の時でも、彼の我がままを聞き、彼を信じ、しかもプレッシャーを与えずに操縦してきた。中野が孫悟空なら、智子夫人は悟空を掌のなかで操るお釈迦さまといえるでしょうね」
そんな評価を受けていたサンプラザ中野くんと智子さん…
しかし、その後二人は離婚しています。
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