芸歴は50年以上、作家や歌手、女優や声優など様々な経歴を持つ「中山千夏」さん。
そんな中山さんが、参議院選挙に出馬したのは1980年のことでした。
果たして、この背景には何があったのでしょうか?
名前:中山千夏(なかやまちなつ)
生年月日:1948年7月13日(71歳)
職業:作家、元歌手、元女優、元司会者、元テレビタレント、元声優、元参議院議員
出生地:熊本県山鹿市
学歴:麹町学園女子高等学校
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これまでの中山千夏さんは、1970年代に世界を席巻した女性解放運動(ウーマン・リブ)に参画していました。
そうして、1977年には芸術家や知識人で構成された政治団体・革新自由連合(革自連)の結成に参加し、代表の一人となっていたのです。
このような背景もあり、中山さんは1980年6月22日の第12回参議院選挙に全国区からの出馬を表明しました。
それに先立って、5月12日には東京・青山にあった革自連本部で、記者会見が行われたのです。
この会見で白いニットにTシャツ、ピンクのパンタロンという軽装で応じた中山さんは、
一番訴えたいのは、女が頑張らなきゃこれからの世の中は良くならないということ。色んなところで、男があまりにもいい加減なことやってるものね。
と語りました。
さらに、
3年前(1977年)はもっぱら、候補者引っぱり出しや応援の役割。そのときも「なぜ、お前出ないんだ」とずいぶん言われたけど、まだ28歳で被選挙権がなかったの。
とコメント。
往年の名子役として知られる直木賞候補作家・中山さんも、この年の7月で32歳になっていました。
そんな中山さんは、革自連にとっては本命の登場であり、また最後の切り札でもあったのです。
また、記者から「初の立候補となると緊張感や恐怖などはないのか?」という質問が出ると、
3年間コツコツと運動をやって来た当然の帰結という感じで、別に何とも。市川房枝先生からも前々から「ぜひ出なさい」と、すすめられていたし…
と答えました。
「中山さんの訴えは、果たして全国の女性に伝わるか?」という質問に対しては、
訴えればわかってもらえると思うよ。当選したら他の女性議員と女の立場ということで団結して何かやりたいと思ってるの。
とも語ったのです。
さらに記者から「早くも勝算十分ということかな?」と聞かれると、
勝つのが目標ですよ、もちろん。でも、勝つためなら何でもやるんじゃ他の人と同じ。ユニークな戦い方をしていきたい。例えば、支持者の人たちとスクラム組んでデモやるとか、ポスターも顔写真はいらないから、新聞みたいにしてじっくり読んでもらうとか。
と答えました。
当時、中山さんは“若い女傑”とも称されるほど一部の人気はかなりのもので、同じく革自連所属の矢崎泰久さん(後の中山さんの公設第一秘書)も「やりようによってはトップ当選も夢じゃない」と語っていたのです。
こうして、その評判通り、中山さんは1980年6月22日の第12回参議院選挙に全国区から出馬して当選。
美濃部亮吉さん(第6・7・8代東京都知事)や山田耕三郎さん(大津市名誉市民・勲二等瑞宝章)と共に院内会派「一の会」を結成、1期を務めました。
けれども3年後の1983年6月26日の第13回参議院選挙で全国区が廃止。
政党を基盤とする比例代表制に移行することになります。
1986年7月6日の第14回参議院選挙では、政党政治嫌いな中山さんは無所属で東京都選挙区から出馬するも次点で落選。
その時の公約通り、それ以降は選挙に出馬することはありませんでした。
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