1990年「叫ぶ詩人の会(さけぶしじんのかい)」を結成し、ロックに乗せて独自のスタイルで叫ぶパフォーマンスで話題となった「ドリアン助川」さん。
ロックバンド「叫ぶ詩人の会」は、最盛期には渋谷公会堂を満杯にしたこともあるほどの人気を得ていましたが、1997年11月、全国ツアー初日にメンバーのTakujiさんが、覚醒剤所持により現行犯逮捕され公演は中止となってしまいます。
バンド活動もこれを機に休止に追い込まれ、ドリアン助川さんはツアー中止による多額の負債を抱えることにもなりました。
そんなドリアン助川さんは現在、どのような活動をしているのでしょうか?…
名前:ドリアン助川(ドリアンすけがわ)
本名:助川哲也
生年月日:1962年6月17日(56歳)
作家、詩人、歌手
出生地:東京都
学歴:早稲田大学第一文学部東洋哲学科
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1999年に「叫ぶ詩人の会」を解散したドリアン助川さんは、2000年3月から2002年9月までアメリカはニューヨークに滞在していました。
当時は日米混成バンドを結成してライブ活動を行ったり、日本に帰国後は、明川哲也(あきかわてつや)の名で執筆も始めています。
2011年11月に名前を再び「ドリアン助川」に戻し、2015年4月からは、の「テレフォン人生相談」(ニッポン放送系列)で、15年振りにパーソナリティとしても活動を再開しました。
こうした中、マルチに活躍するドリアン助川さんが注目したのが、伊豆諸島の一つである三宅島(みやけじま)でした。
三宅島は2000年の大噴火で噴煙が上空15,000メートルに達し、島民も4年半にわたって避難を強いられるという厳しい状態だったのです。
当時、三宅島では小規模な火砕サージ、水蒸気が上空に達したことで、局地的な驟雨も発生し、火山弾は住宅地にも落下しました。
住民の数も噴火前の半分にまで減ってしまい、島の復興が大きな課題となっていたのです。
そんな中、三宅島の畑にイタリアのサンマルツァーノの種を植えればどうか?…
と提案したのが、ドリアン助川さんだったのです。
実はドリアン助川さん…
渡米時にニューヨークで通ったレストランのメニューで「サンマルツァーノの照り焼き、サワークリームのせ」にすっかり惚れ込んでしまったと言います。
そこからトマトについての勉強を始め、代表的なイタリアントマトの一つで、火山灰土を好むサンマルツァーノに目を付けていたのです。
そうして2016年3月、映画「あん」の三宅島での上映があり、主演女優の樹木希林さんと三宅島を訪れた原作者のドリアン助川さんは、集まった島民の皆さんに自身のトマト構想について語りました。
これで、後に引けなくなってしまったドリアン助川さん…
2016年の11月からは、三宅島にアパートを借りて住み始めることになりました。
アパートから一番近いよろず屋まで片道3.5キロという人里離れた場所に移り住むことになりました。
とは言え、ドリアン助川さんの提案に最初は誰も相手にしてくれなかったと言います。
しかし、三宅島の村長に会う機会を得た際に「火山灰の島にいたるところに真っ赤なトマトが実っている。大収穫を祝って、島民が酒瓶を持って集まってくる。トマト栽培で三宅島が復興していく。その姿を見たいんだ」という自身の夢を語ったところ、トントン拍子に話が進みました。
2017の実験栽培は成功し、調理したトマトでの収穫祭では「うまい!」という声が続出…
2018年の今年からいよいよ、三宅島産のサンマルツァーノ(三宅サンマルツァーノ)の予約販売を始めるまでになりました。
また、この三宅サンマルツァーノの事業において、ドリアン助川さんは一円ももらっていないと言います…
これまでの人生において紆余曲折あったドリアン助川さんも、今現在は三宅島復興に力を注いでいるのです。
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