代表的な出演作品と言えば、「渡り鳥シリーズ」や「仁義なき戦いシリーズ」などなど…
代表的な名曲と言えば、「昔の名前で出ています」や「北帰行」、「自動車ショー歌」などなど…
その人物ことマイトガイ「小林旭」さんです。
一方で小林旭さんと言えば、借金に悩まされた大スターの一人でもありました。
今回は借金に悩まされたマイトガイ・小林旭さんの返済方法に関するお話です。
名前:小林旭(こばやしあきら)
生年月日:1938年11月3日(80歳)
職業:俳優、歌手
レーベル:夢レコード
出身:東京市世田谷区
学歴:明治大学(中退)
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1976年10月7日の午後2時…
都内のホテルで小林旭さん(当時38歳)の記者会見が開かれました。
実は小林さん、1カ月後に芸能生活20周年記念リサイタルを控えており、それに合わせた新曲発表が行われるのだろうと集まった記者たちは思っていました。
ところが、小林さんの口から出たのは予想もしなかった言葉…
「4年ほど前からやっている事業がつまずいちゃって、会社が倒産してしまいました」だったのです。
なんでも、会見の前日に小林さんが社長を務めるプロダクションが2700万円の不渡りを出し、事実上倒産したとのこと…
負債総額は2億円で世田谷区のなどの不動産はすべて抵当に入り、所有する高級車も手放しました。
原因はゴルフ場建設の失敗…
ハンディ3でセミプロ級の腕前であった小林さんは、理想のゴルフ場を造りたいと自ら建設に乗り出したのです。
まず始めに手掛けたのは群馬県吉井町(現・高崎市)のゴルフ場でした。
90万平方メートルの土地の買収を進めたのですが、予定地から古墳が見つかったため、県からの許可がなかなか下りず、借入金が膨らみ結局断念してしまいます。
次に乗り出したのは水戸のゴルフ場建設…
オーナーが体を壊し、小林さんに引き継いでくれないかと話が持ち込まれたものです。
用地買収が終わり、営業許可も下りている物件で、今度は大丈夫だろうと小林さんは大いに乗り気だったそうです。
しかし、最初の吉井町の失敗で資金が底をつき、自転車操業を余儀なくされてしまいます。
会員権を売っては資金に充てていましたが、オイルショックによる不況で販売が伸びず、結局は高利の金に手を出して雪ダルマ式に借金が膨らんでいきました。
実は負債2億円というのはあくまでも表向き…
小林さんは他にもドラマ制作の失敗などもあり、実際の借金は15億円近くもあったそうです。
ただ、小林さんがすごいのはここから…
この大借金をわずか5~6年で返済してしまうのです。
1975年1月に小林さんが発表したシングル「昔の名前で出ています」が救いの神でした。
徐々にこの曲に火がつき、この歌を引っさげて地方回りに精を出し、当時の借金を見事に返済してしまいました。
しかし、完済しても小林さんの借金地獄は終わらなかったのです。
再び事業欲が出て、不動産業やホテル事業に手を出すも失敗…
1991年末には51億円に及ぶ負債が明らかになりました。
しかし、この時も小林さんを救ったのは歌でした。
巡業をこなしながら歌番組にも積極的に出演していると、世間に旭ブームが起こったのです。
小林さんは「昔の名前で出ています」で1977年、「熱き心に」で1986年の紅白歌合戦に出場…
石原裕次郎さんと同様、あくまでも映画スターが歌うという位置付けだったのですが、1992年から5年連続で紅白に出場し、1回の地方公演のギャラは1000万円に跳ね上がったため、借金の大半を12年ほどで返したのです。
70歳を超えてからもマイトガイのタフぷりは相変わらずで、月に数本の公演をこなしているといいます。
また現在では、FOSゴルフ指導者マスターライセンスを取得し、国際スポーツ振興協会の参事・専属プロ、日本ゴルフ指導者協会副総裁の肩書を持ち、ますます精力的に活動されているそうです。
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