1990年代のダイヤモンド映像の黄金時代を担った代表的なセクシー女優といえば、この「卑弥呼」さんがまず頭に浮かびます。
その見事なまでのスーパーボディで、業界のみならずともマスコミの間でも一躍時代の寵児になりました。
スリーサイズは、T166、B90、W60、H87という日本人離れのボディの持ち主で、当時の日本でも人気のあったアメリカのセクシー女優トレイシー・ローズさんの日本版とも称されたのです。
名前:卑弥呼(ひみこ)
生年月日:1971年9月3日(48歳)
職業:セクシー女優
出身:東京都豊島区池袋
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卑弥呼さんがマスコミでも大きく取り上げられたのが、その経歴でした。
デビューする以前、1990年度の「ミス日本」の東京代表に選ばれたという輝かしい経歴が発覚したからです。
当時まだ学生だった彼女が、この東京代表に選ばれた翌月にいきなりセクシー女優としてデビューしたと知って、マスコミが食いつかないわけがありませんでした。
一説では、高校在学中から村西監督のラブコールを受けていて、卒業後に海外に写真撮影に連れて行ったりしていたという話もあったのです。
ちなみに、卑弥呼さんのデビュー時のギャラは1本で500万円といわれていて、最高時には1本1000万円にまで跳ね上がったという情報までありました。
作品を出せば大ヒットの人気女優となったのでしょうが、ダイヤモンド映像から20本近い作品をリリースした後に、活動を休止しています。
理由はダイヤモンド映像の経営が破たんしたことが大きな要因で、卑弥呼さん自身も大きなトラブルに巻き込まれてしまうのです。
それが、3000万円のギャラ未払い事件です。
彼女が稼いだ3000万円を節税対策とのことで村西監督に預けていた結果、全額戻ってこなかったのです。
この事件は雑誌やスポーツ紙だけでなく、テレビのワイドショーでも大きく取り上げられましたが、当時、村西監督の下で働いていて、密かに卑弥呼さんに恋心を抱いていた日比野正明監督の仲介で結末を迎えることになりました。
クリスタル映像で1本500万円のギャラで6本分の仕事が決まり、彼女は新たに3000万円のギャラを手にすることができたのです。
こうして、1993年に6本の復帰作を撮り切ると、卑弥呼さんは業界から完全に引退することとなりました。
後日談ではありますが、卑弥呼さんはこの日比野監督の身を削っての行動に報いることはなく、初恋の男性と結婚…
「愛する女に未払いのギャラを補填してやったつもりが、別の男との結婚資金を用立ててやっていた…」と、当時、この顛末にそう書いた雑誌もありました。
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