1978年12月5日、都内のホテルで、10月に70歳を迎えた「ディック・ミネ」さんのディナーショー「古希を祝う会」が開かれていました。
チケットは1枚30,000円…
当時としてはかなりの高額にもかかわらず、全430枚は売り出しからすぐに完売したのです。
「ダイナ」や「人生の並木路」、「夜霧のブルース」など往年のヒット曲に会場は盛り上がりましたが、集まったファンの目的は歌だけではありませんでした。
その日、ミネさんが新たな家族をお披露目するとのウワサが流れていたのです。
そうして新妻の則子さん(当時41歳)と10歳になる子供が登場すると、ファンたちはやんやの喝采を浴びせました。
名前:ディック・ミネ
本名:三根徳一(みねとくいち)
生年月日:1908年10月5日~1991年6月10日(享年82歳)
職業:ジャズ・ブルース、流行歌歌手、ギタリスト、俳優
レーベル:テイチク
出身:徳島県徳島市
学歴:立教大学卒業
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ミネさんにとって則子さんは、籍を入れた女性としては4人目…
内縁関係を加えると、5人目の妻でした。
この5人の妻との間に10歳の子供をめ、10人の子どもがいたのです。
前年夏、3番目に入籍した夫人と協議離婚…
以来、則子さんと暮らし始めるのですが、それまでの交際期間は20年をはるかに超えていました。
初顔合わせは則子さんがまだ13歳の中学生の時…
ミネさんが以前付き合っていた女性の妹と同級生だった縁で出会いました。
ミネさんは後にその時から則子さんに目を付けていたと述懐しています。
ミネさんは芸能界きってのプレーボーイ…
性豪としても知られていました。
ディックは英語で男性器を意味するスラングです。
立教大の相撲部に在籍していた頃、ミネさんの異様にでかい男性器を見たアメリカ人教師が、そうアダ名を付けたのが芸名の由来です。
その大きさは伝説になっていました…
ミネさんが風呂に入ると、外にいてもすぐにわかるというのです。
チャポンチャポンと両足を浴槽に入れた後、3本目の足がドポンと大きな音を立てるのだとか…
そっち方面の武勇伝は数知れずで、立教大在学中に名門女子校生を相手に一晩に9回半…
ミネさんとしては記録を打ち立てようと10回目に挑んだのですが、相手が「もう、カンベンして」と音を上げてしまったのだといいます。
則子さんに対しては彼女が大人になるのが幸抱強く待ちました。
18歳を迎えると、ミネさんは則子さんに「君さえよければ付き合いたいんだが」とアプローチ…
その晩、男女の関係になりました。
以降も交際はずっと続き、30歳で則子さんは妊娠…
産むべきかどうか迷っている時、ミネさんが泊まりに来たのです。
妊娠を打ち明けられたミネさんは「よかったね。おめでとう」と則子さんを抱きしめ、「オレは色んな女に子どもを作ってきたけど、全員責任を持って育てている。心配するな」と言ったのでした。
付き合った女性でミネさんを悪く言う人は誰一人いませんでした。
別れるたびに全財産を相手に渡してきてしまうこともあり、また子どもたちも皆、ミネさんを慕っており、母親が違っても仲が良かったのです。
1991年6月10日、ミネさんは則子さんにみとられながら82歳で亡くなりました。
70歳を過ぎてからも全都道府県に、1人ずつ現地妻がいたというミネさん…
最期まで男の甲斐性を貫いた人生でした。
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