1970年代

乙羽信子…映画監督・新藤兼人との結婚秘話

愛称は「オカジ」…
1978年1月に映画監督の新藤兼人さんと結婚したのが、女優の「乙羽信子」さんでした。

そんなお二人には結婚におけるこんな秘話がありました、

名前:乙羽信子(おとわのぶこ)
本名:新藤信子(旧姓・加治)
生年月日:1924年10月1日~1994年(享年70歳)
職業:女優
出生地:鳥取県西伯郡米子町(現:米子市)



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乙羽信子さんとの婚姻届を今月末に出します…

1月11日、近代映画協会の新年会で新藤兼人さんはこう宣言しました。

このとき新藤さん65歳、乙羽さん53歳…
2人が出会って27年目のことでした。

1951年に新藤さんが初めて監督として臨んだ「愛妻物語」のシナリオを読んだ乙羽さんは「自分もぜひ出たい!」と大映に申し出ました。
宝塚歌劇団から大映入りしたのが1950年…
会社は乙羽さんに”100万ドルのエクボ(百萬弗のゑくぼ)”というキャッチフレーズをつけ、大々的に売り出していたときです。

「お嬢さまタレントに人妻をやらせるわけにはいかない」…
と会社側は出演に猛反対しました。

しかし、乙羽さんは「どうしても出たい」の一点張り…
最後は永田雅一社長が「勝手にしろ」と折れたのです。

「愛妻物語」のヒロインのモデルは新藤さんの最初の妻である久慈孝子さん…
無名のシナリオライターだった新藤さんがスクリプター(記録係)の久慈さんと結婚したのは1939年のこと。

夫を陰ながら支えていたが、わずか4年後の1943年…
結核のため27歳でこの世を去ったのです。

この久慈さんを乙羽さんが熱演…
映画は大ヒットしました。

翌年、新藤さんは再び乙羽さんを主演に監督第2作「原爆の子」を撮りました。
もともと大映の企画だったのですが、内容の深刻さを嫌った会社が手を引き、自主制作を余儀なくされました。

乙羽さんは大映を退社し、新藤さんが主宰する近代映画協会の同人となったのです。
2人が男と女の関係になったのはこの頃から…
すでに新藤さんには1948年に結婚した2番目の妻・美代がいました。

積極的だったのは乙羽さんの方で、後に乙羽さんは、

男性を好きになったのは初めてで、気持ちを抑えきれなかった

と語っています。

1972年、新藤さんは美代さんと離婚しましたが、すぐには再婚しませんでした。

女房と離婚して2人が愛の闘いに勝ったという思いをするのがイヤだった…

と新藤さんが語れば、乙羽さんも、

奥さんと別れたからと、すぐに私がその座につくのは精神的に耐えられなかった

と心情を吐露しています。

結婚を意識するきっかけは新藤さんと前妻・美代さんとの間に生まれた2人の子どもの言葉でした。
すでに成人していた子どもたちは新藤さんが老後、独りになるのを心配し、乙羽さんとの結婚を勧めたのです。

しかし、新藤さんのプロポーズに乙羽さんは首を縦に振りませんした。
美代さんに遠慮したのです。

ただ、その美代さんが1977年8月、脳出血で亡くなり、事態は大きく動きます。

12月初め、新藤さん、長男、長女、乙羽さんの4人が銀座で会食…
その場で新藤さんは入籍を切り出し、やっと乙羽さんも承諾したのでした。

結婚したからといって2人の生活が大きく変わったわけではありません。
式も挙げず、それまでと同じように新藤さんは逗子の自宅、乙羽さんは渋谷のマンションで暮らしました。

乙羽さんは最後まで新藤映画に出続けました。
杉村春子さんと共演した「午後の遺言状」では毎週1回、抗がん剤を打ちながら撮影に臨んだのです。
末期の肝臓がんでした。

撮影を終えて3カ月半が過ぎた1994年12月22日、乙羽さんは70歳で亡くなります。
新藤さんはその後も精力的に映画を撮り続け、2012年5月29日に100歳で大往生したのでした。




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