「サンセット・メモリー」が46万枚を超える売上げを記録し、一躍スターダムにのし上がった元歌手の「杉村尚美」さん。
「サンセット・メモリー」の後もシングルやアルバムを発表しましたが、幼馴染の阿部信雄さんとの結婚を機に芸能界を引退しています。
果たして、尚美さんと阿部さんの馴れ初めはどのようなものだったのでしょうか。
名前:杉村尚美(すぎむらなおみ)
本名:阿部尚美(あべなおみ)
生年月日:1954年2月5日(65歳)
職業:元・歌手
所属:ドリームプロダクション
出身:東京都武蔵野市
学歴:獨協大学経済学部
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杉村尚美さん(当時29歳)と阿部信雄(当時29歳)の結婚式は、1983年2月12日の午後4時からカトリック高輪教会で行われ、6時から八方園で披露宴が開かれました。
仲人は阿部さんの勤務先・スタジオシップ(現:小池書院)の社長で人気劇作家の小池一夫さん夫妻です。
「サンセット・メモリー」が大ヒットしたのは、1980年から翌年にかけてですが、尚美さんが幼馴染の阿部さんと久々に巡り合ったのは1978年のことでした。
武蔵野市・吉祥寺の小、中学校で同級生だった尚美さんと阿部さん。
その後、阿部さんは中央大学文学部を出て、兄と二人で旅行代理店を始めます。
一方、尚美さんは歌手になってグループ・日暮しを作って音楽活動に励みました。
中学を卒業して以降、二人の交際はなかったのですが、友人から海外旅行の相談をされた尚美さんが、ふと阿部さんのことを思い出したのです。
こうして尚美さんは割安のチケットを阿部さんに頼んだ時に再会。
しかし、この時はお互いに彼氏・彼女がおり、すぐに二人の関係が深まることはありませんでした。
けれども、旧友は懐かしいもの…
家も近かったこともあり、間もなくして阿部さんが誘って気軽なデートが始まりました。
阿部さんはガッシリとした体格のスポーツマンで、野球やゴルフも得意。
根が明るくて全然ベタベタしないタイプの男性です。
尚美さんも、
なんでこんなに冷めてるのかと思うくらいクールなの。年の割に大人だし、すごく頼れる感じで、最初から惹かれてたのね。好きだとか、愛してるとか全然言わないのに、クリスマスには花束が届いたりして…
と、尚美の方が先に惹かれていきました。
阿部さんは実のところ、尚美のようなお嬢様タイプより、大柄で健康的な女性が好みだったと言います。
尚美はいつまで経っても子供っぽくて、純なんですね。僕が汚していいのかなと心配になるくらい素直なところがある。それが短所にもなるけど、僕もわがままな男だし、逆な性格で意外にウマが合うことを発見したんです。
と、阿部さんは語りました。
巡り会ってから1年後、尚美さんはグループを解散してソロでやる決意をしましたが、すぐには仕事に恵まれず悩んでいたのです。
その時、彼が「歌手になった以上、どんなに苦しくてもめげずに頑張れ」って真剣に励ましてくれたの。「私にはこの人が必要なんだ」、「彼についていこう」と心の中で誓いました。
と、この時のことがきっかけとなり、尚美さんは阿部さんがプロポーズしてくれるまで、いつまでも待とうと決めたのでした。
阿部さんも自分の会社で企画したフィリピンのシコゴン島ツアーに尚美さんを誘い、団体旅行で婚前旅行とは違うものの、二人のムードは急上昇したのです。
こうして尚美さんは「サンセット・メモリー」を大ヒットさせて、彼の激励に応えました。
1980年には阿部さんが旅行代理店をやめて、尚美さんが知人の縁で紹介した劇画作家プロダクション・スタジオシップ(現:小池書院)に就職します。
そうして仕事の足場を固めて、翌年の秋にしっかりプロポーズしました。
僕を信じて、じっと待ってくれましたからね。彼女はカトリックなので、1981年の10月18日に教会で婚約式をしたんです。結婚式は翌年の彼女の誕生日(2月5日)に挙げるつもりでしたが、二人の仕事の関係もあって、つい延び延びに…
と、語っていた阿部さん。
それが急きょ決定したのは1983年の正月のことでした。
小池社長の家へ挨拶に行った時に、
式はどうなってるの?君には男の責任があるんだから1日も早く挙げた方がいい。
と、ハッパをかけられたからです。
2月5日の予定でしたが、式場の都合で2月12日に決定。
新居は阿部さんが住んでる吉祥寺の2DKマンションにしました。
結婚するなら背中が大きくて、全てを預けられる男性がいいと思っていたけど、彼はぴったり。バカなくらい明るい性格だし、私を全面的に支えてくれる人なんです。二人のお友達が気楽に集まれるような、あったかい家庭にしたいわ。
と、語った尚美さん。
阿部さんは仕事が多忙で帰宅は夜中の2時、3時になることが多く、新妻を一人待たせておくのはかわいそうとのことで、しばらく尚美さんは歌手を続けることになります。
尚美もそれを望んでますが、この頃は僕のマンションへ来て料理を作ったりしてますよ。美味い物を食べたいと思って、デートした時のレストランを連れ歩いたけど、味を真似るふうがないんだなあ。でも、自分なりに8品くらい作ってみたり、翌日は1品になっちゃったり、コロッと変わるんです。
と、話す阿部さん。
子供は尚美さんも好きだから、なるべく早く3人産むのが目標と語る二人。
阿部さんは「女の子は悪い虫がつくと困るから」という理由で、男の子ばかり欲しがっていました。
ハネムーンは1983年の夏休み。
尚美さんはニューヨークに行きたかったのですが、元旅行代理店の阿部さんの希望でシベリア鉄道経由、ヨーロッパ行きと決まりました。
さて、その後の尚美さんですが、「サンセット・メモリー」以降も何枚かシングルやアルバムを発表しましたが、この結婚を機に芸能界を引退しています。
二人の間には2人の子供が生まれ、子育てから解放されてから、尚美さんは美容アドバイザーとして活躍。
これは阿部さんが仕事で自然派化粧品を扱ってた関係で、化粧品や食事などの相談に乗るためにアドバイザーになったとのことでした。
現在は地元、東京・武蔵野市に4世帯住宅を建て、父と夫、息子夫婦、娘夫婦と暮らしていると言います。
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