1980年代

梅沢富美男…元妻・京子との馴れ初めと息子・清章に関して

目次




 

“下町の玉三郎”や“300年に1人の役者”とも称されたタレントの「梅沢富美男」さん。
プライベートでは、妻・池田明子(旧姓:土井)さんと結婚し、2人の娘がいます。

しかし、実は梅沢富美男さんにとって明子さんとの結婚は再婚であり、過去に京子さんという元妻とその間に息子がいました。
今回は梅沢富美男さんの元妻に関するお話です。

名前:梅沢富美男(うめざわとみお)
本名:池田富美男
出生名:池田富美男
別名:下町の玉三郎
生年月日:1950年11月9日(68歳)
職業:俳優、歌手、タレント、コメンテーター、司会者
所属:株式会社富美男企画
出身:福島県福島市




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梅沢富美男…元妻・京子(隠し妻)が発覚し記者会見していた?!

下町の玉三郎こと、「梅沢富美男」さん(当時33歳)に隠し妻、さらには隠し子がいることが明らかになったのは1984年1月のことでした。

明らかになった隠し妻の名前は、京子さん(当時27歳)、そして隠し子も清章(きよあき)くん(当時4歳)だということが明らかになったのです。

1984年1月11日、富美男さんと母親の千子(ちね)さん、そして富美男さんの兄で梅沢劇団の座長(当時)を務めていた武生(たけお)さんが、東京・赤坂プリンスホテルで全マスコミを招き、説明とお詫びの記者会見を開きました。

そもそも大衆演劇「梅沢劇団」とは、富美男さんや武生さんの父で、花形役者であった梅沢清さんが旗揚げした剣劇一座のことです。
清さんの妻にして、富美男さん・武夫さんの母でもある千子さんも、竹沢龍千代(たけざわりゅうちよ)として、夫の出征中も子育をしながら、梅沢劇団を運営して来ました。

ちなみに、千子さんと清さんの間には8人の子供が生まれており、富美男さんは7人目の五男、武生さんは長男になります。

さて、そんな富美男さんからすれば、親代わりでもある武生さんがまずは弁明しました。

こいつ(富美男)は大衆演劇の中で咲いたチッポケな花。咲かない内につぼんでしまってはまずいと思って(隠し妻に)したんです。梅沢劇団には400本以上の芝居がある中で、今度のことが私の一番うまくできた芝居だと思っています。

と、まさに大衆演劇の座長らしいセリフを語ったのでした。

とは言え、なぜ富美男さんに妻がいることを隠したのでしょうか?
その点に関して、武生さんがこのように説明しています。

昨年(1983年)夏、父親(清さん)が亡くなった。座長としての俺の後継者は富美男しかいない。でも芸も未熟だし、「発表は何ごとだ!」と隠してきた。

と、まだ半人前の富美男さんに妻子がいるなど認めるわけにはいかなかったと答えました。
そのため、楽屋に京子さんが清章くんを連れて現われると「何しに来た、帰れ!」と追い返した来たという武生さん。

一方で母・千子さんは、

他の孫たちは楽屋に顔を出すのに、富美男の子は顔が出せない。とても可哀そうだと思っていました。

と、語りました。

しかし、京子さん自身も自ら表舞台に立つことは望まなかったと言います。
むしろ、富美男さんの人気の邪魔になるなら身を引くことさえ考えていました。

富美男さんがその点に関して、このようなエピソードを語っています。

僕がテレビに出るようになり、歌(1982年の夢芝居)もヒットして売れ出した昨年(1983年)7月頃に、女房が「私たちが苦痛にならない?手を引いてもいいのよ」と言い出したんです。「冗談じゃない。このバカタレが!」と一蹴しましたけどね。

こうして富美男さんは7年間に渡って隠して通して来た妻子の存在について、始めて会見で明らかにしたのでした。




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梅沢富美男…元妻・京子との馴れ初めとは?

東京の下町で生まれたという京子さんは、控え目で我慢強い女性だと言います。
だからこそ、これまで7年間の隠し妻の座にも耐えて来ました。

京子さんは、そんな7年間を手記に綴(つづ)っています。
そこには富美男さんとの馴れ初めや結婚、子供のことなど事細かに記されていました。

私が主人の舞台を見たのは、私が池袋商業高校2年生の時でした。
私は両親との3人家庭の家に育ちましたが、大衆演劇ファンだった母に連れられて、初めて十条の篠原演芸場に梅沢劇団のお芝居を見に行ったのです。
初めて見た主人は、まだ女形を演じていず三枚目役でした。
第一印象は「おかしい人だなぁ」というものでした。
そのお芝居の幕間(まくあい)に「舞踊ショー」があり、私は艶やかに踊る一人の役者に目を奪われました。
「あの人はさっきのお芝居で三枚目だった梅沢富美男よ」と、隣にいたおばさんに教えられた時は、あまりの変化ぶりに息をのむ思いでした。
それが梅沢富美男という名を聞いた最初で、また私がファンになったきっかけでした。
ファンになった私は、母以上に篠原演芸場に通うようになりました。
やがて高校を卒業しOLになってからは、時間のある限り舞台に駆けつけました。
客席から主人の舞台を息をつめて見つめる…
ただ、それだけで十分だったのです。
大衆演劇にはお芝居が終わると、劇団員総出でお客さんを見送る「送り出し」の儀式があります。
その「送り出し」の時に、私は「がんばってね」と初めて声をかけました。
近くの喫茶店で少しおしゃベりできたのは、それから1ヵ月も経った頃だったでしょうか。
やがてふたりだけでデートするようになりました。
デートはもっぱら洋画を見て、食事をしながら映画評をすることでした。
「タワーリング・インフェルノ」、「ピンクパンサー」、「ジョーズ」、それに「007シリーズ」などを見ました。
私は「富美男さん」と呼び、主人は「京子」と呼びあっていました。
交際して2年ほどした1976年の7月、「おれの嫁さんになるかい」とプロポーズされました。

この点に関して、富美男さんは、

プロポーズの言葉?記憶にないね。あっちこっちで言ってたから。1974年に知り合って、半年ほど手をつけなかったんですがね。1976年に親父に見つかった。「手をつけたのか?」、「ハイ」、「カタギの人を、バカヤロ!」と怒陽られました。親父は「女を騙すな、泥棒するな」が口癖でね。男の責任を取れということでしょう。7月4日に親父が入籍を許してくれたんです。

と、コメントしました。

結婚生活が始まりました。
しかし、主人はお芝居があり、多くのファンに支えられています。
1週間に一度会えるか会えないかの毎日でした。
それでも主人は、人目を忍んで帰宅する時は、必ず何かプレゼントをしてくれるやさしい人です。
多分、隠し妻の私の立場を不憫(ふびん)に思っていたのだと思います。
そんな隠し妻の座が、私にとって寂しくないといえば嘘になりますが、その一方ではファンあっての主人という思いがありました。
家を一歩出ると、夫は主人ではなく梅沢富美男という役者だと考える習慣がつきました。
そして、主人が女形をはじめて人気が出はじめた1979年12月16日、長男が生まれました。
その時、主人は初めて「ありがとう」と言ってくれました。

こちらも富美男さんは、

毎年幕れに台湾旅行がありましてね。女房が臨月だし行きたくなかったんだが、渋々行った。台湾に着いたら知らせが待っていた。機内にいる間に生まれたらしい。親父が喜んでね、自分の名前をとって清章(きよあき)と命名してくれたんです。

と、語っています。

主人は「下町の玉三郎」と評判になり、前にも増して忙しくなりました。
北区滝野川の家に戻ってくるのは、月に1回程度でしょうか。
必ず清章におもちゃを買ってきます。
「パパ」とじゃれつく清章ですが、子供と遊ぶのはヘタな主人です。
でも、私はそんな主人のすべてが好きです。
主人と一緒にいられるだけで幸せです。
一生、大衆演劇役者の隠し妻でも私は満足でした。
「昨年、日本有線放送音楽祭でグランプリを受け、NHK紅白に出場できたことは私にとっても最高の出来事でした。
そしてこの度、はからずも表の舞台に出していただくことになりました。
私の存在が主人の活動の邪魔にならないよう心がけながら、主人の大衆演劇への情熱の火を絶やさないようにしたいと思います。
そして、 家庭的には何でも話し合える雰囲気にして、できればもうひとり子供が欲しいと思っています。
今後とも、梅沢富美男を宜しくご支援くださるようお願い致します。

こちらについても富美男さんは、

二人目の子供?そういう行為も少なくなりまして たまに、久しぶりにと思っても、「ダメ!」と軽くいなされちゃつてねえ。

と、コメントしました。

ただ、富美男さんと京子さんの夫婦生活は、あまり長くは続きませんでした。
この発表から数年で二人は別れてしまったからです。




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梅沢富美男…妻・土井明子との馴れ初めとは?

富美男さんと京子さんが離婚した経緯や時期などは明確になってはいません。
ただ、その後、富美男さん(当時36歳)は、現在の妻となる土井明子さん(当時30歳)と知り合い、結婚しています。

馴れ初めは、1987年にハワイやロサンゼルス、サンフランシスコに住む日系二世や三世たちのために行う演劇「移民百年祭」でした。

元々、明子さんの両親が富美男さんの大ファンだったこともあり、明子さんは両親と共に、この「移民百年祭」のために渡米したのです。

明子さんの実家・土井家は当時、不動産業を営んでおり、バブル期にはかなり豊かな生活をしていました。
そのため家族で富美男さんの海外公演も見に行く余裕があったのです。

そして富美男さんは明子さんに一目惚れ、ハワイで遊びに誘ったことで急接近。
こうして、あれよあれよという間に結婚することとなり、二人の間には女の子が2人生まれました。

かつては臨床検査技師として病院に勤めていた明子さん、現在はフィトセラピスト(植物療法士)として活動する他、東京都世田谷区に「ソフィアフィトセラピーカレッジ」を設立し、この学校で校長を務めています。

富美男さんが女性と付き合うのは、芸の肥やしだと考えているという明子さん。
そのお陰なのか、富美男さんの今回の結婚は長続きしているようです。




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