1967年の東宝「燃えろ!太陽」で酒井和歌子さんの妹役で映画デビュー。
1999年の「柔道一直線」(TBS系)でブレイクし、清純派女優として活躍したのが「吉沢京子」さんでした。
名前:吉沢京子(よしざわきょうこ)
生年月日:1954年3月2日(65歳)
職業:女優
出身:東京都板橋区
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1983年9月、29歳の時に吉沢京子さんは結婚しています。
相手は1歳上のコマ・スタジアム社長の次男で、マスコミは玉の輿婚と書き立てました。
馴れ初めは1982年4月、吉沢さんが大阪・梅田コマ劇場の「森進一特別公演」に出演した時、社長を通じて知り合ったのがきっかけでした。
程なくして結婚を前提とした家族ぐるみの交際に発展し、吉沢さんは夏には結婚を意識するようになったのです。
その後はっきりしたプロポーズはないまま交際が続きましたが、同年11月にスポーツ紙に熱愛がスクープされたことで、急きょ婚約会見が開かれました。
吉沢さんは「初めて結婚を考えた人です。安心してついていける人だって思いました」と結婚宣言。
当時、モジャモジャの長髪にヒゲをたくわえていた相手の男性は「彼女は僕のことをマンガ的だと言うんですが、彼女もどちらかといえば、マンガ的なんですよ。明るい2人がそろって明るい家庭を作っていきます」と語りました。
挙式は翌1983年の9月28日。
約200人が出席し、大阪のホテルで行われて、吉沢さんは「マンガのような面白い家庭を作りたい」とのろけたのです。
しかも新居は、高級住宅街である芦屋のマンション。
吉沢さんは引退せず、地元関西のワイドショーの司会やCMなどを中心に仕事を続けました。
そうして1985年には長男も誕生。
当初、芦屋の物価の高さや、主婦たちが着飾って買い物をする社交場のようなスーパーの雰囲気になじめなかったと語る一方、すっかり芦屋夫人ぶりが板につき、優雅な日々を過ごしているとの報道も流れました。
しかし、結婚生活は長く続きませんでした。
1989年11月に吉沢さんはひっそりと離婚し、4歳の子供を連れて東京に引っ越したのです。
離婚は翌年に発覚し、吉沢さんは「1989年初め頃から、どちらともなく離婚を言い出し、話し合ってきました。離婚を決めた大きな原因は申し上げられません」とコメントしました。
「嫁姑の確執では?」との問いには、「義母は一番の理解者」とキッパリ否定したのです。
離婚を考えた時にも姑に相談し、「京子ちゃんがそう思うのならそうしなさい」と返事をもらったと言います。
離婚を切り出してから結果が出るまでわずか2カ月、慰謝料はもらわず、養育費だけが一括して支払われました。
吉沢さんは「互いに育ってきた環境が違うせいか、全てのことに対して価値観が違った。プラスチックと木の違いというか…」とも語っていました。
また、関西の上流階級の伝統を強く残している芦屋に入って、息苦しくなったのではないか?との声もあったのです。
もっとも、関西にレギュラー番組を持ってい吉沢さんは、1994年まで一時的に生活の拠点を再び芦屋に戻し、関西の銘菓「芦屋婦人」のイメージキャラクターを務めるなど、芦屋との関係はしばらく続きました。
その後、元夫の男性は再婚しましたが、吉沢さんは今も独身のままです。
現在も舞台を中心に女優業に励んでいます。
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