キノコのような独特の巨大へアーと言えば、黒柳徹子さんを思い浮かべる人も多いかと思います。
けれども、そんな髪型でさらに過激な下ネタトークで話題を呼んだ人物と言えば「塩沢とき」さんでしょう。
塩沢さんと言えば、がんとの闘いを繰り返し、何度も生還したことでも知られていますが、中でも印象に残るのはブレーク直後の1985年8月、乳がんで右乳房を失った時のエピソードではないかと思います。
名前:塩沢とき(しおざわとき)
本名:塩沢登代路(しおざわとよじ)
生年月日:1928年4月1日~2007年5月17日(享年:79歳)
職業:女優
出身:東京市牛込区中里町
学歴:実践高等女学校
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塩沢さんは1950年に美人女優としてデビュー以来、映画やテレビで活動を始めました。
「愛の戦士レインボーマン」(1973年・テレビ朝日系)の魔女・イグアナ役など個性的な役もこなし、脇役としての出演が多かったのです。
しかし、1984年「ライオンのいただきます」(フジテレビ系)に出演して以来、人気が急上昇…
小堺一機さんが司会を務める同番組では視聴者から寄せられる「身のシタ相談」のハガキに対し、松尾和子さんや清川虹子さん、小森和子さんらと共に上品な口調でハチャメチャな談議を繰り広げました。
他にも週刊誌のインタビュー記事等で過去の性遍歴や不倫経験を赤裸々に披露して話題を呼びました。
ちなみに、独特のヘアスタイルはデヴィ夫人を意識したもの…
当初は控えめでしたが、回を追うごとに大きくなり、最終的には発泡スチロールを詰め込み、セットに2時間、元に戻すのも30分という巨大ヘアとなったのです。
そんな人気絶頂の塩沢さん(当時57歳)にかんが襲います。
1985年7月23日、いつものように肌にローションを塗っていた塩沢さんは右の乳房にしこりを発見…
「ひょっとしたら、がん?」と25日に国立がんセンターで検査、乳がんの疑いありと診断されたのです。
塩沢さんは1958年、30歳の時にも舌がんを患っています。
舌の切除は女優生命の終わりを意味しますが、幸運にも担当医は最新療法を学んだ医師でした。
医師は放射線を帯びた針を患部に刺して、がんを焼く治療を行うことを提案…
この治療を受け入れた塩沢さんは、舌を引き出して針を刺すため、治療は激しい痛みを伴い、歯を全部失い、総入れ歯となるなど過酷を極めました。
こうした過去の経験もあり、塩沢さんはがんに対しては特敏感だったのです。
そうのため乳がんも比較的早期に発見できました。
「胸を残すとか残さないとか色々言っても、言えるうちが花。 生き延びるためなら、胸と命は天秤にかけられないでしょう」と塩沢さんは病室のベッドが空くのを待って、8月12日に右乳房を切除する手術を受けたのです。
8月24日に退院し、9月16日の「いただきます」出演から任事に復帰…
復帰では、「片パイ」のイラストを掲げた塩沢さんは手術当日に起きた日航機墜落事故に触れ、「私なんか胸がひとつなくなっただけで何でもない」と語りました。
翌年、「今夜は最高!」(日本テレビ系)に出演した塩沢さん…
「もうできないから記念にやっておきたかった」と、無傷の左の乳房をタモリさん相手にポロリと披露していました。
「乳がん先生」と呼ばれ、ロケ先で女優から「私の胸を見て」と言われて触診したこともあったと言います。
その後もマイペースで芸能活動を続けましたが、2004年に再び乳がんで左乳房を切除…
さらにスキルス性胃がんを発症し、2007年5月17日、惜しまれながら79歳で亡くなりました。
生活は質素で、生涯借家住まい…
また生涯独身だったと言います。
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