「ブルーライト・ヨコハマ」が100万枚を超える大ヒットになり、女優に転向後も数々の賞を受賞した「いしだあゆみ」さん…
私生活では1984年3月、ショーケンこと萩原健一さんとの離婚会見での鮮やかなコメントが話題となったのです。
名前:いしだあゆみ
本名:石田良子(いしだよしこ)
生年月日:1948年3月26日(71歳)
職業:アイドル、歌手、女優
所属:イザワオフィス
出身地:長崎県佐世保市
学歴:上野学園高等学校
Sponsored Links
いしだあゆみさんと萩原健一さんの2人の熱愛が報じられたのは1978年3月のことです。
当時、萩原さんにはドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系列)での共演をきっかけに結婚したモデルの小泉一十三さんと2歳になる娘がいましたが、交際報道の9日後に離婚を発表しました。
その後、萩原さんといしださんは約2年の同棲生活を経て1980年5月27日に結婚したのです。
当初は姉さん女房のいしださん(当時32歳)と、やんちゃな萩原さん(29歳)のアツアツぶりが「おしどり夫婦」と書かれました。
しかし、幸せな生活は長く続かなかったのです。
結婚3年目の1983年4月、萩原さんは自宅マンションで大麻所持の現行犯で逮捕されてしまいます。
この時、いしださんは「他人さまからどんなにバカな男と言われても彼は私の夫です。見捨てることはできません」とかばい、離婚を否定しました。
しかし、事件で執行猶予となった後も、萩原さんは酒を飲み歩くような生活を続け、いしださんの注意を聞かなかったのです。
そして1984年2月に萩原さんは、酒気帯び運転でオートバイをはねる事故を起こしてしまいました。
萩原さんは釈放後の記者会見で「離婚は考えてみたこともないし、ありません。家内は私にとって姉であり妹であり、母でもあります」と語ったのです。
ところが、何があっても必死に夫をかばい続けたいしださんですが、事故を受けて「何も言うことはありません。もう、あきれました」と距離を置くコメントを出しました。
結局、1984年3月10日に離婚届にはんこが押され、約4年間の結婚生活に終止符が打たれたのです。
離婚会見でも「妻としてやっていく自信がなくなりました。主婦として失格でした。私の方から別れようと言いました」、「彼の妻として、良妻でも悪妻でもなく、愚妻でしかなかったなと思います。彼のためによかれと思ってやったことが、みんな逆効果になってしまって」と理由を語りました。
萩原さんについては「いつまでも不良でいいと思うんです。マジメに不良をやって欲しいと思います」とコメントしたのです。
萩原さんからは慰謝料の話も出ていましたが、いしださんは「気持ちだけありがたくいただきました」と辞退を表明しました。
あまりにも鮮やかないしださんの会見に、身から出たサビとはいえ、三行半を突き付けられた萩原さんに同情の声もで出るありさまでした。
萩原さんといしださんの結婚ですが、2008年に発売した萩原さんの自伝本「ショーケン」(講談社)で、実際には入籍しておらず事実婚だったと告白し、話題となったのです。
しかし、これには「当時の戸籍に入籍と除籍の日時が記されており、未入籍だったというのは萩原さんの勘違いか、あるいは自伝本を売るための話題づくりではないか?」との反論報道も出ました。
その後も萩原さんは結婚と離婚を繰り返し、2011年2月にカリスマ主婦モデル冨田リカさんとの電撃婚が話題となりました。
一方のいしださんはずっと独身のまま…
最近でも映画「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」(2014年)や、テレビドラマ「ラギッド!」(2015年・NHK)など活躍を続けています。
Sponsored Links
この記事へのコメントはありません。