1970年代

弘田三枝子…不倫相手の妻に刺されても懲りずに不倫する?!




 

1961年、14歳の時に東芝音楽工業から「子供ぢゃないの」でデビューした歌手の「弘田三枝子」さん。

歌唱力とパンチの効いた歌声で、「和製R&B」と評された実力派の弘田さんが、果物ナイフで刺されるという衝撃的な事件が起きたのは1977年1月のことでした。

名前:弘田三枝子(ひろたみえこ)
本名:高木三枝子
生年月日:1947年2月5日(72歳)
職業:歌手
レーベル:東芝音楽工業、日本コロムビア、キングレコード
出身:東京都世田谷区池尻




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1977年1月25日の午前6時を少し回ったばかりのこと。
まだ薄暗い中、うつろな目をした一人の女性が東京都港区の麻布警察署の正門前に現れ、当直の警官に「今、人を刺してきました」と言った切り、その場に倒れ込みました。

女性はジャズギタリストS(当時34歳)の妻、A子(当時29歳)でした。
刺した相手は人気歌手の「弘田三枝子」さん(当時29歳)だったのです。

A子が果物ナイフを持って弘田さんの住むマンションに行ったのは、その日の午前4時20分。
その時の気温は0度でした。

寒さに震えながら物陰で40分以上も待ち続け、5時過ぎにSと一緒にタクシーから降りてきた弘田さんの背中を果物ナイフで3回、立て続けに刺したのです。

傷の深さは1~1.5センチほど…
刃先がもう少し深く入っていれば、腎臓に達する恐れもありましたが、幸い急所は外れて、弘田さんは数日の入院で済んだのでした。

弘田さんとSが仕事を通じて知り合ったのは1975年1月のこと。
次第に男女の仲になっていき、その年の夏頃から、しばしば家を空けるようになりました。
この年のクリスマスも自宅には戻らず、Sは弘田さんの家に泊まっていたのです。

当時、A子は妊娠5カ月、5歳になる長女もいました。
我慢の糸が切れたA子は弘田さんの家に電話をかけ「夫と別れて!」と叫んだのです。

その時、弘田さんは「きちんと別れます」と答えたのですが、男と女の関係は摩訶不思議なもの。
これがきっかけで、逆にSさんと弘田さんは、より親密になっていきました。

1976年5月、A子は2人目の子供を産みましたが、夫Sはますます家に帰らなくなります。
一方でSはジャズグループを結成し、弘田さんのバックバンドを務めるなど2人の関係は深まるばかりでした。

1977年1月7日、Sは「必ず妻と離婚する」と話して弘田さんにプロポーズします。
そうした動きを察したA子は意を決して、同月15日、夫の不倫相手と直談判に及ぼうとするのですが、弘田さんに拒否され、10日後ついに凶行に及んだというわけなのです。

A子は逮捕から21日後の2月15日に保釈となり、略式裁判で罰金刑が科せられました。
弁護士から軽い処分で済みそうだと聞いた弘田さんは、ほっとした表情を見せたと言います。

弘田さんはA子への罪の意識とこの問題が尾を引き、いつまでもマスコミに取り上げられるのを恐れていたのです。

その後、Sとの関係を清算した弘田さんは渡米。
芸能界も一時的に引退しました。

これで不倫に懲りたはずだったのですが、アメリカでもまた妻子持ちの男性と恋仲になります。
1978年1月、弘田さんは航空会社の営業部長ㄒ氏(日本人)と知り合いました。

同年5月プロポーズを受けますが、当時T氏には4番目の妻と3人の子供がいたのです。
しかし、正式に離婚が成立しないまま、9月に挙式。
すでに弘田さんのお腹には愛の結晶が宿っていました。

T氏は営業で売り上げ全米卜ップをとるほどのヤリ手でしたが、一方でかなりのプレイボーイと評判だった人物です。
それが理由だったのか、1979年2月に娘が生まれて間もなく、弘田さんはこのT氏と別れて、日本に戻って来ました。

そうして、弘田さんは芸能界にカムバックしたのです。
それからは、二度と結婚することはありませんでした。




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