「NHKを代表する演出家」や「ガハハおじさん」の愛称で親しまれ、ドラマのディレクターやプロデューサーの他、タレントとしても活躍した「和田勉」さんが亡くなったのは2011年1月のことでした。
豪快で個性的な和田さんが晩年には公の場に出ることがなくなっていました。
実はそのキッカケはセクハラ騒動(わいせつ事件)だったのです。
名前:和田勉(わだべん)
本名:和田勉(わだつとむ)
生年月日:1930年6月3日~2011年1月14日(享年80歳)
職業:演出家、映画監督
出身:三重県松阪市
学歴:早稲田大学第一文学部演劇学科
Sponsored Links
和田勉さんがセクハラ問題(わいせつ事件)と言えば、まずは2001年9月の舞台演出降板騒動です。
和田さん(当時71歳)は舞台公演の演出を稽古開始からわずか1週間で降板しました。
当初は体調不良や脚本への不満などが報道されたのですが、舞台に出演した女優が当時の状況を漏らし、内容が週刊誌に掲載され、セクハラ疑惑に発展したのです。
経緯はこのようなものでした。
本読み稽古の際に、代役を務めていた女優を和田さんが食事に連れ出し、その後ホテルに泊まっていこうと誘いました。
断ると「芸能界にいられなくしてやるぞ」と脅し始め、途方に暮れた女優が両親に相談…
通報されてコトが表沙汰になり、降板することになったというものだったのです。
女優の兄は「妹はナーバスになって落ち込んでいる。和田氏に対しどうしようもない怒りと憤りを感じている」と話しました。
和田さんは以前から「役者を作り上げるということは、見方を変えればすべてセクハラに近いこと。そういう意味では、小生セクハラの連続でした」と語っていました。
この件に関しては「ホテルには誘った。行きたくなければ帰ればいい」、「疑惑なんかほっとけだよ」とスキャンダルを否定したのです。
けれども翌年、学生相手に再びセクハラ騒動を起こし、今度は裁判に発展してしまいます。
2002年11月、都内の私立大学の依頼を受けて、夕刻から2時間ほど創成期のテレビについて和田さんは臨時講義を行いました。
その後、学生との懇親会に参加しましたが、学生たちの知識が浅いとヘソを曲げ、30分ほどでカバンを置いたまま中座してしまうのです。
指導教授が和田さんの隣に座っていた女子学生に届けるように指示…
カバンを受け取った和田さんは彼女を別の酒場へ、さらにはホテルへ誘いました。
マスコミ志望の学生は明確な拒否の姿勢を見せることが出来ないまま、性的な行為を受けたといいます。
その後、学生は学内のセクハラ委員会に相談して、550万円の賠償を求める裁判を起こしました。
和田さんは法廷で「アホバカマヌケの原告」などと過激な発言を行いました。
肉体関係はなかったとされたものの、マスコミへの就職をちらつかせて性的関係を持ったとして2004年8月、東京地裁から200万円の賠償命令が出されたのです。
「合意の上」と控訴しましたが、東京高裁でも「断る機会がいくらあっても、拒絶できない心理的束縛があれば性的自由の侵害になる」と同年8月の判決は賠償金は270万円に増額されました。
晩年は、がん告知に延命治療を拒否…
2011年1月14日午前3時17分、食道上皮がんのため神奈川県川崎市の老人福祉施設にて、「豪放磊落」のイメージのまま、惜しまれつつこの世を去りました。
Sponsored Links
この記事へのコメントはありません。