1970年代

月亭可朝…野球賭博で逮捕されるも借金は返済?!




 

無類の賭け事好きで、友人の立川談志さんからは、「あいつの人生そのものが博打だ」とさえ言われていた落語家で漫談家の「(初代)月亭可朝」さん。

そんな可朝さんが、まさにその賭け事(野球賭博)で逮捕されたのは1979年のことでした。
この逮捕をきっかけに、次々と著名なお笑い芸人が逮捕され、芸能界と賭博、さらには暴力団との関係が浮き彫りになったのです。

月亭可朝

名前:初代・月亭可朝(つきていかちょう)
本名:鈴木傑(すずきまさる)
生年月日:1938年3月10日~2018年3月28日(享年80歳)
職業:落語家、漫談家
所属:フリー
出身:神奈川県横浜市
学歴:大阪府立城東工科高等学校




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月亭可朝さんが逮捕状を執行されたのは、1979年11月15日の午後5時25分のこと。
この日の朝、可朝さんは阪急甲陽線・苦楽園口駅(くらくえんぐちえき)近くの自宅で、兵庫県警の家宅捜査を受けて任意出頭を求められました。

普通、県警の車に乗せられるものなのですが、可朝さんは自らの愛車・ジャガーを運転し、捜査員がジャガーに便乗するという形で出頭したのです。

可朝さんの直接の容疑は、すでに逮捕されていた野球賭博胴元の暴力団・五島組の若頭・浅田久夫さん(当時36歳)の下で注文取りをし、同じく逮捕されていた無職・野田鏸一さん(当時52歳)を通じて、1979年9月2日行われたプロ野球・日本ハム対近鉄、ロッテ対南海戦にそれぞれ20万円、計40万円を賭けた疑いがあったからでした。

野田さんの自供から可朝さんの名が浮かび上がり、兵庫県警察・甲子園警察署に出頭した可朝さんは「わいは関係しとらん」と容疑を否認したのです。

午後4時過ぎ、県警本部へ身柄を移される時などは、報道陣の突き出すマイクに向かい「バカでおっちょこちょいの可朝です」と言い、「賭博をやったのか?」の質問にも「関係ない。(警察で)説明したらハッキリするわ」と否定しました。
また、この時は悪びれる様子もなく、顔を隠すこともなかったのです。

その後、可朝さんは本部で15分ほど取り調べの後に逮捕状を示され、両手に手錠をかけられ、留置先の葺合暑(ふきあいしょ)に身柄を移されました。
さすがにこの時はショックを隠せず、トレードマークの黒ぶちメガネを外した目の周囲はクマができて、疲れ切った様子だったと言います。

可朝さんが全面的に容疑を認たのは翌16日。
留置場で一夜を明かした可朝さんは、ご飯、みそ汁、タクワンなどの朝食を平らげ、取り調べを受けました。

捜査員から証拠をつきつけられた可朝さんは、夕方になって全面自供。
否認した理由を、

これ(野球賭博)を言うと芸能生活を断たれると思って…

と弁解したのです。

この自供を受けて県警では17日、神戸地検に身柄つき送検を決めました。
この朝、葺合署で朝食を食べたのですが、「みそ汁はうちの嫁はんのよりうまいなぁ」と、可朝さんらしいジョークを飛ばしていたと言います。

同地検では、可朝さんが容疑をほぼ全面的に罪状を認めたこと、逃亡や証拠隠滅の恐れがないことから、正午前、実に42時間ぶりに処分保留のまま釈放されることになりました。

そして、可朝さんはそのまま記者会見に応じたのです。
記者会見は葺合署で行われ、約50人の報道陣の前に現われた可朝さんは、2日間の厳しい取り講べに無精ヒゲをはやし、さすがに疲れきった表情で記者からの質問に答えていました。

「釈放された今の心境は?」と聞かれると、

世間を騒がせて申し訳ありません。当分、謹慎して反省します。

と答え、「容疑についてはどうか?」の質問には、

現在、取調べの最中なので、発言を慎しむよう言われてる。勘弁してください。

と語ったのです。

また、「最初から暴力団賭博と知っていたのか?」の質問には、

全く知らなかった……ホンマにお恥ずかしい。

とコメント。

「他の容疑で取調べは?」との問いかけには、

他にはございません。

と答えたのでした。

しかし、実は逮捕容疑の他にも7、8件の賭博を自供したと洩(も)らした他、神戸市内の銀行に架空名義のロ座を作り、ここに保証金100万円を預け、儲けの金の出し入れをしていた事実もあったのです。

「他の芸能人も加わっていると言われるが?」との声には、

私以外には誰もやっていないと信じてます。

と答え、「中田治雄さんの自殺をどう思うか?」の質問には、

同じ芸能界にいる人間として残念です。

とコメントしたのでした。

また、「社会風刺を得意とするタレントとして、暴力団賭博に加わったことをどう思うか?」との問いかけには、

自分の意志の弱さに負けたことが口惜しくて…

と語り、「今後はどうするつもりか?」と聞かれると、

今、考える余裕もないし、静かに考えてみたい…引退を含めて考えなきゃならないが、私はこの道(芸能界)以外でやっていけるとは思えないし…

とうつむいたままで、ポツリ、ポツリと心境を語った可朝さん。

しかし、事件の真相や核心にふれると「言えません」、「申し訳ありません」を繰り返すだけで、最後は「今夜は自宅に帰りたいと思ってます」と記者会見は終了したのです。

その後、各局は可朝さんの事件の対応に追われました。
11月17日には、可朝さんが初代司会者を務めていたテレビクイズ番組「夫婦でドンピシャ」が、視聴者参加番組であったことからも急に撮り直しができず、テロップを流して放送しましたが、「逮捕されたタレントを放送に出すとはけしからん!」と20件ほど抗議の電話が来たと言います。

また、既に撮りだめしていた何本かはお蔵入りになりました。
当然、可朝さんは番組降板となったのです。

たまたま釈放された可朝さんは、警察でこの番組を見て「俺も、もうこれに出られへんなぁ」と淋しそうに洩 らし、「これで2000万損したわ」と冗談っぽく言っていたとか。

「夫婦でドンピシャ」以外にも、住宅雑誌や喉(のど)の薬のCMにも出演していましたが、こちらは即座に差し替えられました。
野球賭博というイメージダウンに加えて、経済的な打撃も加わって、可朝さんの再起は前途多難となったのです。

また、この事件をきっかけにして、結城哲也さん(チャンバラトリオ)や間寛平さんも野球賭博で1979年11月15日に逮捕され、略式起訴されました。
実は、この野球賭博は暴力団を胴元にして吉本興業の社員が仲介していたのです。

可朝さんはこのシーズンに、50回で1000万円を賭け、約300万円の損をしていました。
そのため暴力団に借金の催促されて追い込まれていましたが、1発勝負の賭けで3000万円勝って返済したのだとか。
まさに「あいつの人生そのものが博打だ」と言われた生き様そのものでした。




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