日本映画を代表する正統派美人女優として活躍し、近年は犬のカイくんの母親役を演じたソフトバンクCMなども好評の「若尾文子」さん…
夫の建築家・黒川紀章さんは2007年、73歳で亡くなっていますが、この大物女優も、過去には泥沼の離婚騒動を経験しているのです。
名前:若尾文子(わかおあやこ)
本名:黒川文子
生年月日:1933年11月8日(85歳)
職業:女優
出生地:東京府東京市豊島区(現:東京都豊島区)
学歴:宮城県第二女子高等学校(中退)
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黒川さんが亡くなる2日前に、若尾さんが「私、あまりいい奥さんじゃなかったわね」と言うと、黒川さんは「そんなこと、そんなこと…本当に好きだったんだから」と振り絞るように答えたと言います。
夫婦の最後の会話として話題になったものですが、若尾さんが40年以上前、バツイチになったことを覚えている人は少ないでしょう。
大映の看板女優だった若尾さんが最初の夫である西舘宏幸さんと出会ったのは1959年春…
ミュンヘンで開かれる映画祭に出席するために渡欧し、最後にパリに立ち寄り、そこでガイドを務めたのが西舘さんだったのです。
東大文学部を卒業後、商業デザイナーを目指してパリの美術学校に留学…
西舘さんは時々、日本人旅行客を案内して生活費を稼いでいたといいます。
挨拶程度の言葉を交わしただけでしたが、ピピッときた若尾さんは帰国後すぐに手紙を送り、2人の文通が始まりました。
3年後、再びパリを訪れた若尾さんは西舘さんとの逢瀬を楽しんだのです。
数日後2人はローマ旅行に出かけ、そこで西舘さんからプロポーズを受けゴールインしました。
若尾さんは「婦人公論」に手記を寄せ「私の理想100%の人」とのろけました。
しかし、夫婦生活はまもなく破綻…
若尾さんは身が建てた品川の白亜の豪邸を飛び出し、1968年7月、記者会見を開いて離婚を報告したのです。
しかし、実はこの時点では離婚は成立していなかったのです。
未練がある西舘さんが応じず、業を煮やした若尾さんが離婚を既成事実化しようと会見を開いたのでした。
泥沼の離婚劇は東京家裁の調停に持ち込まれ、1969年8月に離婚が成立…
若尾さんが西舘さんに1000万円の慰謝料を払うことで決着したのです。
実は若尾さんは不倫をしたわけでもなく、慰謝料を払う必要はありませんでした…
ただ、とにかく別れたかったのです。
公務員の初任給で比較すると当時と現在では約7倍の差があるのです。
7000万円程度なら、有名女優としては安い「手切れ金」だったのでしょう。
それにしても、不可解なのは離婚の理由…
両者から明快な説明は何ひとつなかったのです。
収入格差、若尾さんの気の強さ、西舘さんの鼻につくインテリぶりなどが取り沙汰されましたが、どれもピンときません…
はっきりしているのは数度会っただけで結婚を決めてお互いを知らなすぎたということです。
なぜ若尾さんは結婚を急いだのでしょうか。
若尾さんは同じ大映の俳優・菅原謙二さんとつきあっていたのですが、会社に無理やり引き裂かれ、その直後に最初の渡欧をしました。
そして、帰国してみると菅原さんは別の女性と結婚していて、プライドを傷つけられた若尾さんが”当てつけ結婚”に走ったのが真相ではないでしょうか。
晩年、若尾さんは黒川さんと一緒に参院選に出馬しました。
若尾さんは「(出馬は)死んでもイヤ」と拒否しましたが、最後は折れたのです。
一度の失敗にコリゴリした若尾さんが最後まで添い遂げる覚悟をしていたからなのでしょう。
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