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オリンピックの女子マラソンの日本初の金メダリストと言えば、2000年シドニー五輪の「高橋尚子」さんです。
しかし、「本来なら彼女が第1号になるはずだった」…
と言われているのが、「浅利純子」さんです。
名前:浅利純子(あさりじゅんこ)
本名:高橋純子
生年月日:1969年9月22日(48歳)
職業:マラソン選手
出身:秋田県鹿角市
学歴:秋田県立花輪高等学校
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浅利純子…栄光と惨敗
浅利さんが一躍檜舞台に躍り出たのは、1993年の1月…
当時の日本最高タイ記録でマラソン初優勝を果たした大阪国際女子マラソンです。
それから7カ月後の8月15日…
今度は第4回世界陸上競技選手権大会(ドイツ)で日本女子陸上界初となる金メダルを獲得しました。
浅利さんは1988年、秋田県の花輪高校からダイハツに入社しています。
その彼女に、同陸上部の鈴木従道監督が、マラソンで五輪を狙わせるべく、いきなり過酷な減量を命じました。
貧血症もあり、食事メニューはヒジキのみ…
これが功を奏して、50キロあった体重は45キロになり、入社3年目の1990年には鈴木監督も浅利さん本人に体重の自主管理を任せたのです。
しかし、翌1991年4月の10000メートルで最下位となってしまいます。
このとき体重が50キロに戻っていたことが発覚し、鈴木監督が激怒…。
「死生方針」と銘打って、以前よりも過酷な管理下に彼女を置いたのです。
「食べろと言われても何も食べられない一種の拒食症に陥っていました」と、浅利さんはその頃の苦悩を振り返っています。
同年11月、全日本20キロレースでぶっちぎりの優勝…
しかし、思わぬ事態が待ち受けていました。
1992年1月のバルセロナ五輪代表の選考を兼ねた大阪国際女子マラソン…
浅利さんはペースメーカー役の後輩・小鴨由水さんのスピードについていけず、6位に脱落してしまうのです。
代わりに代表切符をもぎ取ったのは、日本最高記録で初優勝を飾った小鴨の方でした。
そして、浅利さんは後輩・小鴨さんの雑用係として同年夏のバルセロナ五輪に同行することになります。
この屈辱が大きなバネになりました。
「監督の『次のアトランタ五輪ではお前が出るかもしれない。オリンピックを肌で感じてこい』という言葉があったからこそ、バルセロナに飛んだんです」…
そう当時を振り返って、浅利さん語っています。
以後、鈴木監督との衝突を繰り返しながら、彼女は再び五輪を目指し始めます。
前記したマラソン初優勝、さらに世界選手権優勝はその過程で生まれた快挙でした。
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浅利純子…血に染まったマラソンシューズ
しかし、ここから再び奈落の底に転落します。
1995年5月、実業団の10000メートルで途中棄権したことで、鈴木監督に「もうお前の顔も見たくない!」と叱責されてしまいます。
その言葉を真に受けた浅利さんは、「もうやめます」と秋田の実家に逃げ出します…
数日後、鈴木監督がその浅利さんを追ってきました。
「バルセロナに出られなかった悔しさを忘れたのか!?」…
「連れ戻しに来てくれることを心のどこかで期待していた」という彼女は、その翌日、ダイハツの陸上部に舞い戻ったのです。
同年11月の東京国際マラソン…
この1年10カ月ぶりとなるレースで、浅利は37.8キロ地点での転倒を撥ね返し、逆転優勝によるアトランタ五輪の代表を決めました。
そうして「オリンピックでは日本の陸上女子の金メダル第1号を目指します」…
浅利さんは報道陣に言い切ったのです。
だが、好事魔多し…
本番レース前日、運動具メーカー担当者の「レースでは靴下を履かない方がいい」というアドバイスをまともに受け入れたことで、不運に見舞われます。
レース中、突き抜けるような激痛が、左足の裏を襲っていました。
シューズが鮮血に染まっていたのです。
有森裕子さんが3位でゴールした6分後、浅利さんは17位でゴールに倒れ込みまし。
左足の裏を見ると、親指の付け根から土踏まずにかけ、分厚い皮が捩じれるように剥げていたのです。
この惨敗で浅利さんはシューズだけでなく、ブレザーなど五輪を連想させるものをすべて選手村のゴミ箱に捨てました。
その中からシューズだけを拾い出して、浅利さんに差し戻したのが鈴木監督でした。
「裸足の方がいいと言い張ったメーカーへの証拠品にするつもりだったが、一方で浅利本人にシューズを見せることで、シドニー五輪に向けての奮起を促したかった」と鈴木監督は語っています。
結果的にこれが浅利さんの最後の五輪レースとなりました。
2001年1月、引退を表明…
「私を支えてくれた人たちに恩返しをしたかった…」と語った彼女の自宅には、今もあの血染めのシューズがひっそりと飾られているといいます。
また現在の浅利さんですが…
2015年4月から、地元の鹿角市役所生涯学習課所管の学校支援コーディネーターとなっています。
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