芸人でコメディアン、俳優としても活躍している「ビートきよし」さん。
一世風靡した漫才コンビ・ツービートとして、ビートたけしさんの相方と言った方が思い出す方も多いかもしれません。
また、ビートきよしさんと言えば、これまで所属事務所が転々としていた人物でもあります。
ライト企画に始まり、フリーから吉川事務所へ、その後は太田プロダクションを経てまたフリーとなりダテ企画へ、さらにはオフィス北野に誘われ、退社後はキャストパワーに業務提携という形になっています。
果たして、ビートきよしさんがこれほど事務所を転々とした理由は何だったのでしょうか。
今回は1986年に太田プロダクションを退社した時のエピソードを振り返ってみたいと思います。
名前:ビートきよし
本名:兼子二郎(かねこにろう)
生年月日:1949年12月31日(70歳)
職業:お笑い芸人、コメディアン、漫才師、俳優
所属:キャストパワー(業務提携)
出身:山形県最上郡最上町
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当時、相方であるビートたけしさんはテレビに出る度に、相方のビートきよしさんをいじっていました。
クビになりやがって、バカな奴。
と。
ただ、ビートたけしさんのこういった暴言や虚言はいつものこと。
ビートきよしさんが当時所属していた太田プロダクションをクビになったことなど、誰も信じていなかったのです。
ところが、このビートたけしさんの言葉は本当の話でした。
実際にビートきよしさんは太田プロダクションをクビになり、フリーに転身していたのです。
理由はお金にだらしなかったからだと言います。
ビートきよしさんの凋落(ちょうらく)が始まったのは、ビートたけしさんが「オレたちひょうきん族」や映画「戦場のメリークリスマス」に単独出演し出した1982年頃のこと。
まず、ビートきよしさんのメディア出演本数が激減しました。
さらに弱り目にたたり目で、話題と言えば女子大生に50万円借りたの、ベンツのローンが未払いで不渡り手形を出したなど、不祥事ばかりが続いていたのです。
しかも、1984年にはスナック経営にも失敗。
あれよあれよという間に、ビートきよしさんの借金は総額数千万円にも上るという噂もありました。
このお金に対するだらしなさに太田プロダクションもサジを投げのだと言います。
その結果、1985年末に太田プロダクションがビートきよしさんに引導を渡したのです。
ビートきよしさんの方はと言えば、早速、都内に自分の事務所を設立。
今後もタレント活動を続けると宣言。
ただ、当時のレギュラー「街かどテレビ」と「スーパージョッキー」の2本のみ。
2本だけでは、借金の金利を払えるかどうかも疑わしいと言われていました。
けれども、そんなビートきよしさんに救いの手を差し伸べたのが、やはり相方のビートたけしさんでした。
当時でも15年間コンビを組んできた間柄であり、ビートきよしさんを見捨てなかったのです。
当時の大人気番組である「オレたちひょうきん族」に準レギュラーとしてビートきよしさんを出演させたのです。
さらに、
オイラは見捨てないよ。
ツービートは今後も存続させる。
とビートきよしさんを擁護したのでした。
二人の関係が続いていることは、2014年4月からビートたけしさんの事務所・オフィス北野所属となったことからもわかります。
ただ、ビートたけしさんの独立によって、2018年3月をもってオフィス北野から離れることになりました。
現在は女優の遠野なぎこさんやタレントの大島さと子さんなどが所属する芸能事務所キャストパワーと業務提携しています。
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