1978年12月23日、女優の「岡崎友紀」さん(当時25歳)と、ソニー会長・盛田昭夫さんの長男・英夫さん(当時29歳)の挙式が行われました。
場所は上智大学のクルトゥルハイム礼拝堂…
新郎はタキシードで、新婦は友人たちが縫ってくれた手作りウエディングドレスに身を包み、出席者は2人の近親者20人足らずでした。
そこに新郎の父・盛田昭夫会長の姿はなかったのです…
この地味で一風変わった2人の船出は、これからの多難な前途を象徴していました。
名前:岡崎友紀(おかざきゆき)
本名:岡崎友紀子(おかざきゆきこ)
生年月日:1953年7月31日(66歳)
職業:女優、歌手
出身:東京都台東区浅草
学歴:日本大学藝術学部(中退)
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岡崎さんは平均視聴率25%超という「おくさまは18歳」(1970年9月~1971年9月)で、愛くるしいショートカットを披露…
日本中をとりこにし、「おくさま」フィーバーが沈静後も、舞台やドラマで人気女優として活躍していました。
一方の英夫さんはソニー系列のレコード会社、CBSソニーに勤めるサラリーマンとはいえ、幼少時から海外留学して将来は昭夫さんの後を継ぐと目されていたサラブレッドです。
2人には当初から逆風が吹いていました。
その最たるものが盛田家の大反対だったのです。
1976年10月、常陸宮華子さまも出席した宴で出会って交際が始まり、結婚の意思が固い英夫さんは、何度も両親の説得を試みましたが、頑として反対されたのです。
11月18日には盛田家で最終的な家族会議も開かれました。
そこで昭夫さんと良子夫人は首をタテに振りません。
盛田家には実業家の嫁として、3つの条件があったのです。
➀留学経験、➁英語が話せる、➂大学出というもので、下町出身で母一人子一人で幼くして芸能界入りした岡崎さんは、そのすべての条件が当てはまりませんでした。
さらに、岡崎さんが結婚後も仕事を続ける意向が決定打となり、この”最終会議”も物別れ…
英夫さんは「反対なら、勘当すれば」と言い捨て、2日後の11月20日、2人は婚約発表を強行したのです。
そんな2人を「現代のシンデレラ」、「反逆婚」などと旧態依然とした結婚観への抵抗と支持する風潮もある一方で、冷ややかな声も多かったのです。
婚約会見前後に「初めて会った瞬間、他の人は見えなくなった」、「UFOが迫ってくる瞬間のように意識が集中した」、「ずっと恋人同士のような夫婦になりたい」などと、喜々として2人が語り、その子供っぽさに周囲は呆れたりもしました。
結局、結婚生活は2年3カ月で破綻…
1981年4月6日に離婚しました。
原因はまず収入格差や盛田家との軋轢があげられました。
月30万円以上のマンションの家賃や生活費の多くは岡崎さんが負担していたにもかかわらず、依然として盛田家から冷遇されたのです。
昭夫さんに至ってはついに一度も岡崎さんと会うことはなかったといいます。
英夫さんの女性関係が取り沙汰され、岡崎さん自身も男性関係が囁かれました。
当初は否定していましたが、岡崎さんは結局、ウワサになった音楽プロデューサー兼ミュージシャンの岩倉健二さんと1986年に再婚しています(2005年に離婚)。
その後、岡崎さんは参院選出馬などで世間を賑わせたりしましたが、2018年1月1日から「一般社団法人 日本トラウムハイム協会」の理事に就任しています。
一方の英夫さんは1992年に13歳年下の一般女性と再婚しましたが、リゾート開発やF1事業で失敗して、昭夫さんから引き継いだ資産数百億円を消失させたともいわれています。
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懐かしいですね。たままた、ネットで英夫氏の父親の盛田昭夫氏の事を調べていたら
このページを見つける事が出来たのですが、岡崎友紀さんと離婚した当時、
当時のマスコミ(特に女性週刊誌は全部そうだったと記憶しています)は殆どが岡崎さんを
擁護して英夫さんと英夫さんの実家の盛田家の対応を非難していた記憶があります。
その後、英夫さんは事業にことごとく失敗して盛田家の数百億円にも及ぶ、
資産を殆ど、食いつぶしてしまったとか。岡崎さんも、最近はTVに出る事も殆どなく
あのTBSの「爆報フライデー」でぜひ取り上げてほしいと思っています。