1970年代

愛川欽也とうつみ宮土理…馴れ初めと結婚に至るまでの経緯




 

ご存知、キンキン・ケロンパの愛称で親しまれた「愛川欽也」さんと「うつみ宮土理」さん。
芸能界きってのおしどり夫婦として知られていましたが、当初はあまり歓迎された結婚ではなかったのです。

名前:愛川欽也(あいかわきんや)
本名:井川敏明(いかわ としあき)
生年月日:1934年6月25日~2015年4月15日(享年80歳)
職業:俳優、声優、タレント、司会者、エッセイスト
所属:愛川企画室(最終所属)
出生地:京府東京市豊島区巣鴨(現・東京都豊島区巣鴨)
学歴:埼玉県立浦和高等学校(中退)

名前:うつみ宮土理(うつみみどり)
本名:井川三重子(いがわみえこ)
生年月日:1943年10月1日(75歳)
職業:タレント、女優、作家
出身:東京都世田谷区
学歴:実践女子大学文学部英文学科卒業




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愛川さん(当時44歳)とうつみさん(当時35歳)が婚姻届を提出したのは1978年11月18日…
2人はすぐには公にせず、知人たちには年賀状で報告するつもりだったのです。

けれども、しばらくしてくマスコミに漏れ、記者会見を開くことになりました。
12月9日、会場となった六本木のレストランに姿を現したのは愛川さんと所属事務所社長のみ…
うつみさんの姿はなかったのです。

肝臓の調子が悪いというのが理由だったのですが、厳しい質問が浴びせられることを予想して、愛川さんは「オレに任せろ」と、あえてうつみさんを出席させませんでした。

では、なぜ愛川さんはバッシングを覚悟したのか?…
理由は愛川さんが20年間連れ添った糟糠の妻を捨てた上での結婚だったからです。

しかも、離婚届を提出した翌日に入籍するという早業…
世間が厳しい目で見ることは当人たちもわかっていました。

別れた夫人・通子さんと愛川さんは俳優仲間…
俳優座養成所を出た後、愛川さんは友人たちと劇団をつくったのです。

そこで女優の卵だった通子さんと熱烈な恋に落ち、やがて妊娠が判明して籍を入れました。
通子さんは女優への道を諦めて家事と育児に専念…
2年後には2人目の子供も生まれました。

愛川さんが「別れたい」と切り出したのは離婚の4カ月前…
通子さんの答えは当然「NO」でした。

夫婦仲が悪くなったわけでもなく、通子さん側には何の落ち度もありません…
理由が「好き人ができた」というだけでは離婚には応じられなかったのです。
気持ちの整理もつきませんでした。

それでも愛川さんは説得を続け、ついに通子さんが折れます…
世田谷の豪邸をはじめ財産のほとんどを通子さんに渡しました。
愛川さんはどうしてもうつみさんと結婚したかったのです。

愛川さんとうつみさんが出会ったのはテレビ東京「きんきんケロンパ歌謡曲」という歌番組…
出演の話がきた時、愛川さんは周囲には「あんな小生意気な女はご免」と渋っていました。

うつみさんは実践女子大英文科を首席で卒業し、朝日新聞で英字紙の編集に携わっていた才女…
聡明でありながら、時折、天然ボケをかますギャップに愛川さんは次第に惹かれていくようになります。

一方、うつみさんも愛川さんのウソのない生一本な性格に好意を持ち始めました。
意外と話も合ったのです。

愛川さんは進学校の埼玉・浦和高校出身…
演劇にのめりこむ前は東大法学部に進み弁護士になろうと考えていました。
物知りで洒脱な愛川さんの話にうつみさんはいつも笑い転げていました。

食べる姿を眺めるのも好きだったのです。
昭和ヒトケタ生まれの愛川さんは銀シャリを見ると、目を輝かせて何杯もお代わりしました。
2人の間に子供はできませんでしたが、2015年に愛川さんが亡くなるまで、仲睦まじかったといいます。

写真誌が愛川さんと劇団員の不倫疑惑を報じた際も、韓国に語学留学中だったうつみさんは「私は相手の彼女と大の仲良し。不倫なんてありえない」と笑い飛ばしました。

2015年4月の愛川さんの死後、夫を失ったショックからうつみさん活動休止…
同じ年の7月に義妹(弟の妻)で事務所「愛川企画室」のプロデューサーを務めていた内海寿美子さんが交通事故死したことを受け、ショックで活動再開が未定となっていました。

しかし2016年8月末になり、ようやく活動を再開しています。




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